「僕が、氷河を目覚めさせるよ」

瞬が当然のことのようにそう言い出した時、星矢と紫龍は一瞬間だけためらった。
ためらいの理由は、実にくだらないものだったが。

「瞬。だが、これまでの闘いで弱りきったおまえの小宇宙で、黄金聖闘士の強大な小宇宙に対抗できるかどうか……」

「星矢らしくないことを言うね。僕たちは、それを承知でこの闘いに身を投じたはずだよ。僕たちの信じるものが正しいのだと信じて」

「瞬……」

「僕たちはいつも力の全てを出しきって、時には自分の力の限界を超えさえして、ここまで来たじゃない」

奇跡の連続。
傍目にはそう映るかもしれない、これまでの闘い。
相対する敵はいつも強大で、いつも力は――戦う術は、敵の方が勝っていた。
それでも、アテナの聖闘士たちが、これまで強大な敵に打ちのめされることのなかった訳。
それは、彼等の奉じる沙織が真のアテナだったからではない。
そして、彼等が真に信じているものも、実はアテナなどではなかったのだ。


「僕は――僕の小宇宙は黄金聖闘士のそれに比べれば微弱だよ。氷河の師は余力で氷河を氷の棺に閉じ込めたんだろうし、氷河をその凍気から救い出すのに、僕は持てる力の全てを、それ以上のものを必要とすると思う。だけど」

それでも、そうしなければならないのだ。
氷河を、仲間を、信じているのなら。
否、そうするのは当然のことなのだ。
仲間を信じているから。

「カミュのこれを愛情だと思う? こうすることがカミュの愛情だというのなら、もしカミュが氷河を氷の棺に閉じ込めるほどの力を持っていなかったら、彼は氷河を愛せなかったことになるよ。あんな感傷的な氷の棺が、何の役に立つっていうの。氷河を楽に死なせてやることが氷河を侮辱していることだと、なぜカミュは気付かないの」

平生の瞬の穏やかな表情からは想像もできないほど痛烈な批判の言葉に、星矢と紫龍は目を見張った。
だが、すぐに、それも道理だと彼等は納得したのである。

庇護してくれる両親もなく、寄り添い励まし合ってきた仲間たちは、瞬にとっては肉親も同様の存在だったのだろう。瞬自身には一輝という兄がいたが、だからこそ逆に、兄弟すらいない仲間たちを、瞬は深く愛してきたに違いない。
その仲間を侮辱されたのだ。
その仲間を、理不尽としか思えない理由で奪う者を、瞬は許せないのかもしれなかった。


「愛するって、自分も痛みを感じることだよ。持てる者が、余っているものを与えることじゃない。僕は余力があるから、その力を氷河のために使うんじゃない。僕には余力なんかない。だから自分を削るしかない。でも、氷河にはそうするだけの価値があると思うから、そうすることで氷河は強くなってくれると思うから、間違った愛情の呪縛を振りほどいてくれると信じられるから……」

信じている。
信じたい。
愛している。
愛させて。

それが――その気持ちが、瞬という人間を生かしている力の源なのかもしれなかった。


瞬の決意に気おされた感のあった星矢が、ふっと肩から力を抜く。
瞬が仲間を信じているように、自分も瞬を信じているのだということを、星矢は思い出した。

「これが俺じゃなくてよかったぜ。俺のためにおまえにそんなことはさせたくない」

「星矢や紫龍はこんなことにはならないよ。星矢や紫龍は本当の強さと優しさが何なのかを、自分の先生に教えてもらえたんだから。それを知ってるから、もしカミュに対峙したのが星矢か紫龍だったとしたら、星矢たちは闘いに勝つか、あるいは最後まで闘い抜いて死んでいただろうと思う。仲間の前にこんな不様な姿はさらさない」

「その不様な奴のために力を使うのか?」

紫龍に問われ、瞬は明るく苦笑した。
「仕方ないよ。その不様な仲間を、僕は――僕たちは信じているし、そう……愛してもいるね」

紫龍と星矢の無言の中に、同意と不安を感じとって、瞬は彼等に頷いてみせた。

「大丈夫。うまくやるよ。やれると思う。だって、僕たちが氷河を思う心は、カミュより強いから……。本当の意味で強いと思うから。間違った愛情で、仲間を殺されるなんて我慢ならない…!」
「ああ。そうだな」
「カミュの余力と僕の全力が拮抗してる……か、僕の持っている力の方が劣っているかもしれないってとこが情けないけど……」

それでも、瞬ならやり遂げるのだろうと、星矢たちは思った。
瞬が氷河のために燃やそうとしているのは、小宇宙などではないのだ。

「俺たちも――おまえを信じているから、氷河のことはおまえに任せよう」
「うん」

友の信頼は、瞬に更なる力を与えてくれた。
そして、瞬は、何故氷河はこの仲間たちと共に生きていけるという幸運を、自ら放棄できたのかと、訝りさえしたのである。

「……紫龍、僕に聖衣を脱がせたいなんて、馬鹿なことは言わないでね」
「言いたいな。聖衣など、おまえには不要のものだ。おまえの強さは聖闘士の強さではなく、人間としての強さだ」

紫龍の言葉が、瞬は嬉しかった。
自分が求める強さは、紫龍や星矢の目指すものとは在り処が違うのかもしれないが、それを理解し認めてくれる友の存在が、瞬の心を晴れやかにしてくれた。

「ありがとう。さあ、行って。氷河は僕が、殴りつけてでも目覚めさせるから」
「……ほんとに殴るなよ?」
「余力があったら、殴らせてもらうよ」

星矢と紫龍が、瞬の返事に肩をすくめる。

カミュの凍気を溶かそうとして、もし逆にその凍気に飲みこまれてしまったら、生きて再び会うことは叶わないかもしれない二人の友に、瞬はほのかに微笑した。





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