そこにやってきたのが、女神アテナである。
彼女は、すべきこともなくダレきっている星矢たちを見回すと、彼等に慈愛に満ちた微笑を投げかけた。

「退屈そうね、あなたたち」

言葉だけは気遣いのそれであるが、沙織の瞳には、どーゆーわけかこの状況を喜んでいるような輝きがたたえられている。

「私、思うんだけど、あなたたち、毎日こんな調子じゃいけないと思うの。身体だけじゃなく小宇宙もナマってしまうでしょうし、それより何より、『働かざるもの食うべからず』と言うでしょう。だからね、私、あなたたちのためにとっておきの就職口を作ってあげたのよ」

「…………」× 4

『見付けてあげた』ではなく『作ってあげた』――である。

紫龍は、なぜか悪い予感を覚えつつ、偉大なる女神アテナにお伺いをたててみた。
「我々の就職口とはいったい……?」

「これよ」

その質問を待っていましたとばかりに、沙織が星矢たちの前に広げたもの。
それは、高級フランス料理店のメニューのごとく立派な作りの、妙に分厚いパンフレットだった。
「まだ、試し刷りの段階なんだけど……」

表紙には、白地に金の箔押しで、『蔦葛歌劇団設立のご案内』という文字が綴られている。
『蔦葛歌劇団』なるものの存在を、城戸邸に起居する青銅聖闘士たちは誰一人として知らなかった。『設立のご案内』とあるのだから知らなくて当然ではあるのだが、なにやら得体の知れない団体であることだけは推察できる。

「な…何ですか、これは」

どもりながら尋ねた紫龍への、実にほがらかなアテナの答え。
それは、

「聖闘士だけの歌劇団を作るわ」

という、理解の範疇をアナザーディメンションに移住させたようなシロモノだった。

「へ?」

「あなたたちに、まともな会社勤めなんて、今更無理な話でしょう。だから、あなたたちのために、グラード財団の中のエンターテイメント部門に新たな1セクションを設けたの。あなたたちのための劇場も来週中には出来上がるわ。総工費数百億の劇場よ。ええ、もちろん、あなたたちのためのものだと思えば、百億が千億でも安いものなんだけど」

恩着せがましく『あなたたちのために』を連発する沙織に、(青銅聖闘士たちの中では)常識人の紫龍が白目をむく。
代わって代表質問に立ったのは、氷河と恋仲になった時点で“常識人”の看板を下ろした瞬だった。

「か…歌劇…って、僕たちは歌も歌えなければ、踊りも踊れませんよ」
「あら、そんなことないわ。古谷徹も鈴置洋孝も堀川亮もCDを出してるし、堀秀行も“世紀末ダーリン”や“逮捕しちゃうぞ”のCDの中で歌を歌ってるじゃない」
「だ…誰ですか、その古谷なんとかさんたちって」
「あら、知らないの? それならそれでいいけど」

そんなことは大した問題ではないのだと言わんばかりに、沙織はその件に関してそれ以上の議論を避けた。
そこに、氷河が割って入ってくる。
「確か、橋本晃一は歌など歌ったことはないはずだ」

沙織にとっては、そんなことは、本当に大した問題ではないらしかった。
彼女は相も変わらず余裕綽々、その微笑を消し去らない。
「大丈夫よ、氷河。あなたが顔だけの男だってことはよっくわかってるわ。でも、その“顔”がいちばん大事なのよ、舞台では」

「…………」
沙織に、『顔だけの男』と断じられてしまった氷河がムッとする。氷河は、顔以外にも色々と、他者に勝る部位を備えてい(るつもりだっ)たのだ。

「で……でも、踊りは……」
必死に食い下がる瞬は、だが、残念ながら、既にアテナの敵ですらなかった。

「まあ、何を言ってるの。瞬、あなた、今ここで普通にジャンプしてどれくらいの高さまで飛べて?」
「え? あ……5メートルくらいはいくと思いますけど」
「そうよね。でもって、バク転や前転飛びはもちろん、前方宙返りだろうが、側方宙返りだろうが、伸身前宙一回半ひねりだろうが、後方伸身宙返りだろうが、前方宙返り半ひねりだろうが、アウエルバッハ宙返りだろうが、塚原サルトだろうが、何だって軽くできちゃうわけよね」
「それは……できると思いますけど……」
「なら問題ないわ。あなたたちが前方伸身宙返りしているところに音楽を流せば、それは立派にダンスになるのよ」

「…………」

そーゆーものだろーか。ダンスとは、そーゆーものなのだろーか。
マイムマイムすら踊ったことのない瞬には、しかし、反駁の言葉が思いつかない。

言葉を失った瞬に代わって、なんとか気を取り直した紫龍が再びの反撃。
「し…しかし、沙織お穣さん。それなら、何も歌劇団なんかでなくても、そ…そう、例えば、中国雑技団のような……」
「そんな既にあるものを作ってどうするの」
「歌劇団だって、既に幾らでもあるじゃありませんか」
「そうね。でも、男性だけの歌劇団というのは聞いたことがないわ」

「………… !!!!!! 」× 4

お気楽この上ない響きの沙織の言葉に、青銅聖闘士一同は再び揃って絶句した。
驚愕した。
仰天した。
動転した。

「だ…男性だけ? あ…あの……男だけでやるんですか?」

瞬の戸惑いは至極尤も。
一応、聖闘士星矢の世界には女性の聖闘士もいるのである。
可憐な娘役を演れるようなか弱いキャラはいないにしても。

「劇団○季や宝○歌劇団との差別化を図ろうとしたら、そうなるでしょう」

「…………」× 4

驚天動地の青銅聖闘士たちを尻目に、だが、沙織の言い分は理路整然。

「シェイクスピアの時代には、女性は舞台に立てなかったから、男性だけの演劇が当たり前だったのよ。これは、演劇の本来あるべき姿なのよ」

「…………」× 4

「あら、歌劇団が嫌なら、バレエ団でもいいのよ。男性だけのバレエ団は、トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団やグランディーバ・バレエ団、レニングラード男性バレエ団と、世界中にあふれてるけど、日本には著名な男性バレエ団はなかったわね、そういえば」

話がこういう方向に進むと、さすがに青銅聖闘士たちも驚いてばかりはいられない。
純白のチュチュを着てパ・ド・ドゥなぞを踊る自分の姿を思い浮かべて、彼らは思い切り吐きそうになった。

「バ……バレエ団はやめてくださいっ !!  そんなものの一員になるくらいなら死んだ方がましですっっ !! 」

青銅聖闘士の中では尤もチュチュが似合いそうな瞬からして嘔吐感を拭い去れないのであるから、残りのメンバーは押して知るべし。

「でしょう?」
瞬の悲愴・悲惨・無残な悲鳴に、沙織は得たりとばかりに微笑んだ。

「ともかく。働いていない者にただ飯を食わせるほど、グラード財団は甘くないわ。嫌だというのなら、即刻ここを出て自活の道を考えなさい。皿を手にしただけで割ってしまうようなあなたたちには、皿洗いのバイトすらできないと思うけど。ねえ、星矢」
「…………」

「あなたの特技って何だったかしら。一瞬で服を脱ぐこと? 脱いだらその先を要求されるに決まっていてよ、紫龍」
「…………」

「あなたなら、喜んで囲ってくれる小母様方やお姉様方がたくさんいそうだけど、氷河はきっとあなたにそんなことは許さないわねぇ、瞬」
「…………」

「あなたに出来るのはホストくらいでしょうけど、まさか可愛い瞬を一人残して夜のお仕事になんて行ってられないでしょう、氷河」
「…………」


すべて沙織の言う通り――である。
聖闘士たちは観念せざるを得なかった。
実社会での生活力のなさ――無敵のアテナの聖闘士たちの、それは、最大最強の(?)欠点だったのである。



ここで一句。

桟【かけはし】や 命をからむ つたかずら

植物も人間も、命を永らえるためには必死にならなければならない。
数百年の昔、芭蕉は『蔦葛歌劇団』創設の日のあることを予見して、この句を読んだのかもしれなかった。





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