その翌日。

あんな悲しい話はもう聞きたくないと思う心もあったのに、シュンは何故か再び、昨日キグナスと出合った城の裏庭へと足を運んだのです。
その姿を見られるだけでいいと思っていましたから、シュンはそっと、まるで禁じられた場所に忍び込むように足音を忍ばせて、裏庭へと入っていきました。

けれど、今日はそこにキグナスの姿がありません。
彼がそこにいないことを知ると、シュンはがっかりして肩を落としてしまいました。


「…………」
あんな悲しい話をして自分を泣かせた騎士に、平和な国で安穏と暮らしているアンドロメダ姫を軽蔑している男に、なぜこんなにも会いたいと思うのか――シュンは自分で自分がわかりませんでした。

自分はどこかおかしいのだと思い、諦めて城の中に戻ろうとした時、
「おい、チビ」
ふいに、シュンの背後からキグナスの声が聞こえてきたのです。

おかしくても、不可解でも、キグナスの姿を見た途端、シュンの胸は高鳴りました。

「来てくれたんだな。昨日は、名前も言わずに行ってしまうから、恐がらせてしまったのかと思った」
ぶっきらぼうな口調のその言葉も、シュンには天上の楽の音より胸をときめかせてくれるものでした。

「あ……あの、シュンです。僕の名前」
「そうか。俺の名はヒョウガというんだ」 
「ヒョウガ? キグナスじゃないの?」

ログレスの国では聞いたことのない響きの名前です。
シュンが人づてに聞いていた名とは違う名を名乗るキグナスに――ヒョウガに――シュンは首をかしげました。

「いや、なんとなく……。ヒョウガなんて名前より、キグナスの方が箔がついて聞こえるから、ログレスではそっちの名を名乗れと、仲間に言われてな」
「なんとなく……? 騎士の名前ってもっと大事なものじゃないの?」
「名前や騎士の名誉なんかよりもっと大事なものがこの世にはある」
「命?」

ヒョウガに促されて、シュンは裏庭の芝生の上にぺたりと座り込みました。

「そうだと思っていた。昨日までは。この世で一番大切なものは人の命だと」
「今日は違うの? もっと大切なものができたの?」
「ああ」
「何ですか?」

シュンに尋ねられても、ヒョウガはすぐには答えませんでした。
ヒョウガの青い瞳に見詰められ、その瞳に映る自分自身にどぎまぎして、シュンは彼から視線を逸らそうとしたのです。
が、その前に、シュンはヒョウガに身体を引き寄せられ、その胸に抱きしめられていました。

「ヒョウガ……?」
「おかしな趣味はないはずなんだが」
自分を抱きしめている男を戸惑いながら見あげたシュンに、ヒョウガは独り言のように呟きました。

「あの……」
「昨日、会ったばかりなのに」
ヒョウガの手が、シュンの衣服の内に忍び込んできます。
その手の熱さに、シュンは、まるで蝋燭の炎に触れた時のような痛みを覚えました。
その痛みの自覚に一瞬遅れて、シュンは、ヒョウガが自分に何をしようとしているのかに気付いたのです。

「だ…駄目です!」
シュンはヒョウガの手から逃れようとしましたが、ヒョウガはそんなことをシュンに許してはくれませんでした。

「何故だ。おまえ、やはり、あのミロとかいう騎士と……」
「ち…違います!」
「なら、何故」
「あなたは、騎士の誓約で結ばれたアンドロメダ姫の夫で……」
「ああ、そうだったな。それが?」
「ふ…不倫になります……!」
「不倫?」

シュンの訴えに、ヒョウガは一瞬瞳を見開き、それから口許に安堵したような微笑を刻みました。
「そんなことか。おどかすな。おまえが俺を嫌いなのかと思った」

ヒョウガは、騎士の誓約など全く意に介してないようでした。
からかうような口付けをシュンに贈って、彼はその場でシュンの細い身体を抱きしめたのです。





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