生まれて初めて知った、人の身体の持つ熱。
その日の午後いっぱいを、シュンは熱にうかされている病人のようにぼうっとして過ごしました。
陽が暮れた頃に、兄王が自分の部屋を訪れているのにも、しばらくは気付かずにいたくらいです。

「シュン、何か嬉しいことでもあったのか」
「あ、いえ」
まさか、今夜ヒョウガの部屋に行く約束ができているのだなどとは、兄王には告げられません。シュンは小さく左右に首を振って兄王をごまかしました。
兄王もそれ以上シュンに尋ねてくるようなことはありませんでした。
王にも――兄王には、シュンとは別の“嬉しいこと”があったのです。

「あの男、思っていた通り、ベンウィックの王というのははったりで、騎士の叙任すら受けていない風来坊らしい。となれば、奴とのやりとりは騎士と騎士の誓約ではないわけだから、簡単に破棄できるだろう。いや、破棄する」
「あ…兄君……?」
「大丈夫。大事なおまえを、あんな、どこの馬の骨とも知れない者に渡したりはしない」

その、どこの馬の骨とも知れない者を、シュンは愛してしまったのです。その思いは、長い間自分を慈しんでくれていた兄王のその言葉を憎悪させるほどに、既にシュンの心の大部分を支配していました。

「騎士でないなら誓約は無効なんですか !?  騎士でないなら、約束を破っても構わないの !?  そんなの変です!」
「シュン……?」

少女ならぬ身のシュンには、たとえ相手の出自が確かなものだったとしても、人の妻になることなどできません。そんな、あってはならない事態を回避できる方法が見付かったのですから、シュンは自分の提案を喜ぶだろうと、兄王は思っていました。
ですから、兄王にはシュンの反駁は少なからぬ驚きでした。

しかし、シュンには――シュンの中には、昨日までのそれとは違う心が生まれていたのです。
出自の正しい騎士との誓約でないなら、それは破棄してもよいのだという兄王の言葉に、シュンは苦い思いを味わっていました。


――騎士道だの何だのと食えもしないものに血道をあげているログレスの王は、一介の成り上がり者にすぎない俺のことなど相手にもしないだろう――

ヒョウガの言う通り――でした。
ベンウィックの窮状を訴えて、友好と助力を請う――などという、シュンにとっては常識的と思える方法では、ヒョウガの望みは叶えられないのです。
人の世では、特に騎士道の発達したこのログレスでは、騎士の位や君主の地位というものがものを言うのです。
人の作った制度や決まり、礼節というものが、人の幸福を妨げるのです。

法や礼節は、確かに必要なものです。それらのものがなかったら、人々は自らの欲望だけに従って行動し、世は乱れるでしょう。
けれど、それらのものは、人のためにあるべきものなのではないでしょうか。
礼節を重んじる騎士道も、王と被支配者という身分の違いも、そして、支配者の特権すらも、最初は人のために作られたもののはずでした。
そのはずだったのに――。





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