「おまえから言ってやったらどうだ?」 「え?」 星矢が何を言っているのか、瞬にはすぐにはわからなかった。 静かな冬の日の昼下がり。 ラウンジのソファで本を読んでいた瞬に、星矢の言葉は実に唐突に投げかけられてきたのだ。 「氷河にさ。最近のおまえ、ちょっと意地悪だぞ。氷河の気持ちに気付いてて、わざと挑発するみたいなことしてさ」 「ああ」 何を、星矢が言っているのかを理解して、瞬は小さく苦笑した。 そして、左右に首を振る。 「駄目。これは氷河の方から言ってこなきゃいけないことなの」 星矢ですら気付いているのなら、氷河もそのことには気付いているに違いない。 自分が挑発されていることには。 「どっちが言い出さなきゃならないのか決まってることじゃないだろ。おまえから言ってやったっていいじゃん」 「相手が氷河でなかったらね」 紫龍あたりならその一言で納得してくれるのだろうが、星矢ではそうはいかない。 子供をいなすような瞬の返事に不服そうな顔をしている星矢に、瞬は小さく嘆息した。 その場にいる紫龍に説明されてしまっても困るので、仕方なく説明を始める。 「氷河はね、大事な人を失い続けてきたの。お母さんに、先生に親友。だから、氷河は恐がってるんだ。誰かを自分の特別な人にして、その人をまた失うことをね、氷河は怖れてるの。そういう人がいないと生きていけないくせに」 瞬の言葉の最後の部分は、星矢への説明というより、氷河への歯痒さの吐露だった。 瞬の苛立ちを感じとって、星矢がひょこりと肩をすくめる。 瞬の挑発の原因が氷河の優柔不断だというのなら、非は氷河にあると思いはするのだが、星矢の同情心はどういうわけか氷河の方に向けられた。 瞬の言うことはわからないでもない。 確かに、氷河には、“特別な人”が必要なのだろうと思う。 氷河は誰かを愛したいのだろう、もう一度。 だが、欲する気持ちと同じ程度の強さと深さで、愛する者を失うことを怖れている。 彼にとっては、それほどに、過去の幾度かの喪失感が大きかったのだろう。 あの悲痛を再び味わうことを怖れ、彼は走り出すのをためらっているのだ。 そして、だが、氷河は、愛する者がいない状態では生きていけない。 彼はそういう人間なのだ。 人は、いつでも何かを愛していたい。 “好きなもの”がある人間とない人間とでは、どちらがより幸福か。 そんなことは考えるまでもないことである。 何かを愛することで、人は幸福を手に入れるのだから。 氷河は、それが、“人間”でなければ駄目な人間なのだ。 「そのGoサインは自分が出さなきゃ。氷河が自分でスタート地点に行かなくちゃ」 独り言のような瞬の呟きに、それまでセンターテーブルの向こう側の椅子に腰掛けて、楽しそうに瞬と星矢のやりとりを聞いていた紫龍が、ふいに口をはさんでくる。 「走り出したら、氷河は恐いと思うぞ」 瞬が顔をあげて、意味ありげな表情の長髪の友人を見やる。 それから、瞬は、その友人に薄い微笑を向けた。 「僕より?」 何かに挑むような瞬の眼差しに、紫龍は、返す言葉をすぐには見付けられなかった。 |