氷河の腕に抱かれてるのがいい気分だったので、瞬は、そのまま彼に身を任せていた。 が、自室のベッドに下ろされると、瞬は横にはならず、その場に腰をおろした。 本当に大丈夫なのかという顔で、氷河がそんな瞬を見おろす。 そして、呆れたような口調で瞬に尋ねた。 「……なんで、亀なんか」 「なに、それ。まさか、せめて犬か猫だったら格好もつくのに、なんて思ってたりする?」 「いや、そういうわけではないが」 実は、思っていたり、した。 もちろん、ここで自分の“思っていること”を口にしてしまうほど、氷河は馬鹿ではなかったが。 実際、それが犬でも亀でも同じである。 体長3センチのミドリガメでも油断はできない。 人の命がいつ、どんな些細なきっかけで失われるか。 これまでの間断ない闘いを通して、人の命があっけないほど簡単に失われるものだということは思い知っていたはずなのに、何故今まで、こんなにも大切なことをためらっていられたのか――氷河は自分が不思議でならなかった。 「瞬、本当に大丈夫か」 「うん。アフロディーテの一人や二人くらいなら、今でも簡単に倒せると思うよ」 「そうか」 瞬に確認を入れると、氷河はすぐに瞬の腕を引き、瞬の肩と頬とを自分の胸に抱きしめた。 「氷河?」 氷河の胸の中で、瞬が彼の名を呼ぶ。 「馬鹿だ、俺は。何故もっと早くこうしなかったんだろう」 氷河は、瞬の髪に唇を押し当て、それから、これまでずっとためらっていた言葉を、瞬の耳許に囁いた。 「…………」 待ち焦がれていた言葉を氷河の胸で聞かされて、瞬がほんのりと頬を染める。 「ほんとに馬鹿だね」 小馬鹿にしたような瞬の囁きには、喜色がにじんでいた。 そして、少しばかりの恨みも。 「氷河がいつまで経っても何も言ってくれないから、僕は気持ちのやり場がなくって、人間だけじゃ足りなくて、動物も木も花もみんな愛して、それでもまだ愛し足りなくて、もう何をどうすればいいのかわからなくなりかけてたんだから…!」 氷河に肩を抱きしめられたままで上向かせた瞬の瞳には、昨日まで彼の親友だった苦渋が、まだ小さなかけらの形をして残っていた。 「気持ちだけじゃ駄目なんだよ! 動きたいの! 愛するってことはね、気持ちだけじゃ満足できないの! 僕はね、自分の大切なもののために何かをしたくてしたくてたまらないの! なのに、氷河がそれを拒むから……!」 優しく可愛らしい面立ちの主に瞳を潤ませて責められても、痛みは全く感じない。 まして、“位置につくこと”を決意してしまった今となっては。 氷河は、笑って、瞬に尋ねた。 「だから、亀を助けたのか?」 からかうような氷河の口調に、瞬が少しばかり意地を張ったような顔になる。 「そーだよ! いけない? 僕はあの亀も愛してるの!」 「いけなくはないが、俺の心臓に負担をかけないでくれ。俺の方が死ぬかと思った」 「もっと早く、もっと危ないことしていればよかったよ。こんなことで氷河が……」 その意地も、瞬の中では長くは保たなかった。 それとは違う、それ以上の感情が瞬の心の底から湧き起こってきて、瞬の憤りをあっさりと飲み込んでしまったから。 「氷河が、僕を抱きしめてくれるのなら……」 「……悪かった」 氷河の謝罪には何も言わず、瞬は、摺り寄せるように自分の頬を氷河の胸に押しつけていった。 そして、それまでからかうような笑みを浮かべていた氷河が、突然素直に謝ってきた訳を知った。 氷河は、違う抱きしめ方で瞬を抱きしめたがっていたのだ。 それに気付いて、瞬は、思わず氷河の胸から身体を引いてしまったのである。 そして、困ったような目を、氷河に向ける。 「は……早すぎない? まだ午前中だし、それに、普通は心の準備期間ってものが……」 「準備期間が長すぎた」 「…………」 それは確かにその通りではあったのだが。 |