寝台と瞬しか写っていない写真のその場所は、ホテルなのか、マンション等の個人所有の住居なのかの判断もつきかねるものだった。

瞬が今どんな目に合ってるかのかを考えただけで気が狂いそうになる自分の心を、氷河は無理に静めた。

生きていてくれさえすればいいのだ。
瞬が生きていてくれさえすれば。

そして、瞬を生かしておくことに、大抵の人間が価値を覚えるだろうと思えることが、氷河にとっては救いだった。
瞬の持つ知識・情報や身代金が目的でなくても、瞬には生かしておく価値がある。
こんな、妙に構図に凝った写真を送りつけてくるような拉致犯にしてみれば、瞬は、絶好の素材になりモチーフになりテーマになり得る興味深い存在だろう。

だから、生きている。
生きているはずなのだ。





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