「虎ノ門から東麻布にかけての35階建て以上の建物」

「その範囲の広さは何だ? 1時間も時間を費やして、そこまでしか絞れないのか」

「犯人の頭の回転の速度がわからないところに、手際の良さと性格の悠長さが作用し合った時の表出パターンを計算しきれない。それに……」
「何だ。まだ言い訳が続くのか」

「犯人が、どれほどの時間、瞬の観賞に時間を費やすことになるのかもわからない」
「…………」

誘拐犯にしては呑気なことだが、あんな写真を送りつけてくるあたり、その時間を計算に入れることは必要なことなのかもしれない。


「写真を撮った後の移動の可能性は」
「98パーセントない」
「何故だ」
「瞬の拉致自体はかなり大胆に行なわれた。さほど練った誘拐計画があるのだとは思えない。要領が良くて、状況判断力が優れているから、まだ犯人の計画は破綻していないだけだ。そこにもってきて、あの写真だ。発信機自体は、埋め込まれている場所さえわかれば、カッター1本で剔出できるものだ。だが、犯人はそんなことはせずに、ちゃんとした器具を用意して、それこそ針の穴で示さなければならないほどデリケートな剔出をしている。おそらく、瞬に大きな傷を残したくなかったんだろう。しかも、腕と顔を写してみせれば用が済むところで、あんな写真を撮影するような奴だ。美意識があるんだろう、この犯人には」

「そのようだな」
一輝も、それには異論はないようだった。
それが、瞬にとって、幸いなのか不幸なのかは別問題ではあるのだが。

「写真の瞬のポーズが、左腕を強調するためとはいえ不自然だ。これは、ヴァトーの描いた『ユピテルとアンティオペ』のアンティオペの寝姿をそのまま模倣している。こいつは自分の犯罪を芸術か何かだと思ってるんだ。ロココ絵画に通じているところをみると、かなりの俗物だろうから身代金くらいは要求してくるかもしれないが、第一の目的じゃない。趣味か楽しみでやってるとしか思えん。こーゆー輩は、追跡を逃れたり、捜査を霍乱するために、アジトをせかせかと変えたりはしない。あちこち逃げ回るより、優雅に仕事を進めたいんだ。拉致から6時間、剔出と服を脱がせ構図を決め移動と写真の配達に要された時間を差し引いて逆算すると、場所はどう考えても都内。写真発送後の移動は、性格的にこの犯人はしない。それに――この犯人には、あるいは絶対に捕まらないか捕まってもどうにかなるという余裕と大胆さが感じられる」

「…………」

「ほぼ単独犯。手下はいるかもしれないが、仲間じゃない。病気持ちの仲間だというのならともかく、普通の判断力を持った対等な立場の仲間なら、こんな写真撮影を許すはずがない。故に、瞬を拉致した犯人の目的は、おそらく金や情報ではなく、瞬自身」 

「わかった。納得しよう」

氷河の長い口上を、一輝は遮った。
彼が氷河に求めているのは、論拠ではなく結論だった。

「目星はついているようだな」
「Fホテルの40階から50階の間、採光が主に東南からになっている部屋だ」

「10人ほど応援を手配する」
「部屋を特定してから連絡する。大挙して押しかけるのは危険だ」

「……よかろう。ロビーに待機させておく。くれぐれも抜け駆けはするな」

その指示には頷かずに、氷河は所長室を出た。
ここから先は、氷河の“仕事”なのだ。





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