「瞬……何もされなかった……か? おまえ、その誘拐犯に」
「うん。彼、誘拐犯にしては紳士的だったよ」

離れていたのはほんの半日足らず、無事に救い出してくれたのは他ならぬ彼自身だというのに、妙に心配顔の氷河に、瞬は苦笑しながら頷いた。

氷河を雇い入れてからラボを出て購入したマンションで、瞬はいつも通りの夜を迎えていた。
瞬はそのつもりだった。

が、氷河の方はそうではなかったのである。
彼の胸中にはまだ、気掛かりが一つ残っていた。

「しかし、あの写真は……」
「写真?」

「あ、いや」


瞬が、あの写真の存在を知らないことは、かえって氷河を不安にした。
あの写真が、瞬が意識を失ってる間に薬でもかがされた状態で撮られたものだとしたら、“何か”されていても瞬自身は気付いていないということがありえるではないか。
瞬の身体を自分以外の男に見られた事実だけでも、氷河の気持ちは落ち着かないというのに。

「瞬、すまん。今すぐ、俺と寝てくれ」

氷河に頭を下げて頼まれて、瞬はきょとんとしてしまったのである。

「どーしたの? まだ9時にもなってないのに」
「おまえが無事だったことを確かめたいんだ」
「確かめる…って……見てわからない? 僕は別に拷問を受けたわけでも、何でも……わ、氷河!」

突然リビングの長椅子に瞬の背中を押しつけて、瞬の身に着けているものを剥ぎ取り始めた氷河に、瞬は思い切り面食らった。

「氷河……! ちょ…ちょっと待って!」

苛立ったようにせわしなく動く氷河の肩を押しやろうとした瞬の手は、あっさり氷河に払いのけられてしまった。

「確かめるって、いったい何を確かめたいの。あ…んっ」

本気でこの場で事に及ぼうとしているらしい氷河が何を懸念しているのかを察して、瞬は、肩から力を抜いた。
そして尋ねた。
「確かめてどうするの。僕があの人に何かされた痕跡でも見付けたら、氷河はどうするつもりなの」

「…………」
氷河には、その質問に答えようがなかった。
もしそんなことがあったとしたなら、草の根を分けてでもその男を捜し出し殺してやる! ――とは、瞬には言えない。

「……どうもしない」
そう答えるしかないではないか。

「でしょう?」
氷河の指と膝のせいで既に変化し始めている自分の身体をなだめすかして、瞬は無理に冷静な口調で氷河を諭した。
「だから、こんなのはやめて。僕、氷河にこんなふうにされるのは嫌です」
「…………」

そんなふうに拒絶されて、氷河が瞬に無理強いなどできるわけがない。
のろのろとではあったが、自分の上から身体をどかせる氷河を、瞬はそれ以上は何も言わずに無言で見詰めていた。
瞬自身も身体を起こし、それから、少々気まずそうな顔で長椅子に座り直した氷河の膝に、駄々っ子に手を焼く母親のように――それにしては、なまめかしく――手を伸ばし、置く。

「氷河、僕に言ってくれる? 『おまえが無事でよかった』」

「……おまえが無事でよかった」
少しの間を置いて、まるでオウムのように、氷河が瞬の言葉を反復する。

瞬は、そんな氷河をからかうように、真面目な口調で続けた。
「『安心したら、欲しくなった』」
「…………」

続けて言うべき言葉を指示された氷河が、視線を瞬の上に戻す。
一瞬瞳を見開いてから、氷河は微かに頷いた。

「そのようだ」
「うん」

それなら――それなら瞬にも異存はなかった。
むしろ、それを望んでいた。
「じゃあ、場所を変えよっか。こんなとこで氷河の相手させられたら、僕、明日、身体が痛くて起きあがれなくなるよ」
「場所を変えても、起きあがれなくなるのは同じだ」
「それは困るから、少し手加減して」
「そんな器用な真似ができるか、この俺に」

氷河と瞬が場所を移動したのは、言葉で互いを愛撫し合うようなやりとりの刺激に耐えきれず、それ以上一瞬たりとも互いを待ちきれなかった二人が、その場で一度身体を交わらせてからのことだった。





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