瞬が、氷河にもらった曲を彼の前で演奏したいと思ったのは、ある辛口評論家が業界誌に寄稿した評論文だった。

それまで、名指しこそしないものの、演奏家のアイドル化を嘆く評論を発表して瞬を批判し続けていたその評論家が、瞬の『春』を“冒険”と評し、その“冒険”は成功したと論じた文章。
『春』以前の瞬の演奏を冷評する態度を変えはしなかったが、『春』は、曲想の美しさと完成度もさることながら、瞬が演奏したからこそ成功したのだと、彼は確言した。
氷河が『春』の演奏者として瞬を選んだのは慧眼だった――と結んで、その小文は終わっていた。

自分が評価されないことへの瞬の苛立ちは、『春』の成功で、既に薄らぎつつあった。
しかし、それまで自分に対する非難の急先鋒にいた評論家のその文章は、まだ瞬の中に残っていた自身の演奏への不安を払拭してくれたのである。

そして、今の自分なら、氷河の前で彼の曲を弾くことも臆さずにできるのではないかと思った。

1年前、『春』の発売に合わせて氷河に面会を申し込んだ時には、その申し出を断られていたので、今回も駄目かもしれないと思いつつ、瞬は紫龍に連絡をとってみたのである。
しかし、不承知の返事を覚悟しての二度目の面会の申し込みは至極あっさりと受け入れられ、瞬は、ロシアへと飛ぶことになった。





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