音響設備の行き届いた音楽室には、グランドピアノが1台と椅子が2、3脚あるだけだった。ピアノの調律は完璧で、室内の気温も程良く保たれている。

氷河がリクエストする曲はどれも瞬がデビュー前に得意としていた曲ばかりで、まるで彼は以前の自分を知っているのではないかと瞬が訝るほどだった。

氷河はリクエストを口にする時以外はほとんど無言で、瞬の演奏を聴いていた――否、見ていた。

失われた陽の光――を。

瞬と、瞬の作り出す音の上に、彼は光を見詰めていた。
鍵盤に向かいながら、瞬は、痛いほどに彼の視線を感じていたのである。




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以前、似たような喜びを感じたことがある。
初めて、楽譜も知らずに耳で覚えた曲を教会の古いオルガンで弾いた時、同じ施設にいた子供たちが、次々に知っている曲のタイトルを口にして、瞬に演奏をせがんできた。
誰かのために曲を弾くことが、その誰かだけでなく自分自身をも幸福にしてくれる――その気持ちが忘れ難くて、瞬はピアノを続けてきたのだ。

最近は、すっかりその気持ちを忘れてしまっていたが――。


こんなにも自分の演奏を欲してくれる人。
その人のために曲を弾くことのできる自分。


瞬は、嬉しかった。

だから、それから毎日、瞬は氷河の望むままにピアノに向かった。

他に誰もいない音楽室で、氷河と瞬は二人だけの時を重ねていったのである。





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