「僕、明日、帰国します」 コンサートの翌日。 瞬は氷河にそう告げた。 「ああ、それがいい」 瞬に、突然帰国の決意を聞かされても驚いた様子すら見せない氷河を、瞬は泣きそうな目で見詰めた。 否、瞬は既に泣いていた。 昨夜、あれほど泣いたというのに、それでも、瞬の涙は尽きる気配もなかった。 瞬は声を出さないように必死で耐えていたが、氷河は気付いていただろう。 瞬の瞳から零れ落ちる透明な雫に。 「瞬」 「はい……」 涙声で返事をし、暖炉の前に立つ氷河の側に歩み寄る。 ふいに、初めて会った時と同じように、氷河はその手を瞬の方に伸ばしてきた。 その手が瞬の頬に触れ、瞬の涙に触れる。 この手に触れてもらえるのはこれが最後になるのかもしれない――そう思うと、その手から逃れることは、瞬にはできなかった。 そして、次の瞬間、瞬は、突然氷河に抱きしめられ、唇をふさがれていた。 友人のピアニストに対するそれではなく、情熱を傾ける恋人に与えるように深い口付け。 瞬は、それ以上黙っていることに耐えられず、氷河にしがみついて、小さな悲鳴のように叫んでいた。 「僕、あなたが好きです…!」 そうなのだ。 より多くの人のためにではなく、ただ一人の人のためだけにピアノを弾く人生を、瞬は欲しかったのだ。 瞬を抱きしめる氷河の腕には更に強く力が込められ、その唇は愛しむように瞬の髪に触れている。 このままどうなってもいい――と、瞬は思ったのである。 それで氷河を自分のものにできるのなら、彼に自らを与えることなど、犠牲ですらない――と。 だが。 やがて、氷河は瞬を抱きしめていた腕を静かに離してしまった。 |