ともかく、その夜、氷河は瞬を紫龍の店に誘い、どうにか現状を打破したいと瞬に告げたのである。

だが、瞬の答えは、氷河が想像していた以上に、大人のそれだった。
「でも、あの部署は氷河を軸にまとまってるんですから……。せっかくまとまっているものをわざわざ解体再構築することもないでしょう? 中心は二つもいらないんですよ」

「俺とおまえが中心になればいい。別に俺たちは対立し合ってるわけじゃないんだ」
「急にそんなこと言われたら戸惑う社員が出るかもしれません。僕は……氷河にそう言ってもらえるだけでいいの。人は共通の敵がいた方がまとまるんです」
「…………」


それはわかっている。
その“共通の敵”が瞬でさえなかったら、氷河とて、この状況を最大限利用して、部員のモチベーション向上を図っていたかもしれない。

しかし。
氷河にそれはできなかった。
瞬を、自分の部下や業績の犠牲にすることなど。

「駄目だ。おまえが、あんなふうに悪意に満ちた目で見られているのは我慢ならない」
「……氷河、優しいんですね」

「…………」

間髪を入れずに返ってきた瞬の言葉に、氷河は声を失った。
それは、氷河がこれまで言われたことのない言葉だった。
だからというわけではないが、氷河はその言葉を褒め言葉だと認識してもいなかった。
氷河の辞書にある褒め言葉は、『有能』 『やり手』 『切れ者』――そういう類の言葉だけだったのだ。
『優しい』などという言葉は、他に褒めるものを持たない人間を褒めなければならない時に用いられる、窮余の策だというのが氷河の認識だった。

のだが。

瞬に『優しい』と言ってもらえることは、氷河に望外の喜びをもたらした。

瞬には『有能』よりも『切れ者』よりも『優しい』と思われていたい。
思われていたかった。





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