トラブルが起こったのは、瞬が常務に就任して数週間が過ぎた頃だった。
1週間の予定で城戸グループの海外コンベンションに出掛けていた氷河は、帰国したその日に、プロジェクトチームのリーダーからの電話でそれを知らされたのである。

「財務部の事務職員が、常務に電話を引き継がなかったんです。取引先から50億の入金があったんですが、オンライン回線のトラブルでコンピュータ上処理できなかったことを伝える電話だったんですが……。額が額ですから、常務からの処理命令がなかったら、データ処理もできないんですが、常務にその連絡が行っていないわけですから、いつまで待っても常務からの処理命令は出ない。50億の入金がなかった状態で、もう5日経ちました。この5日間の金利や為替の反映が、50億円分全く処理されていません。そうしていたら、今日――」

監督省庁から監査の予告が入ったというのである。
『ほぼ抜き打ち』を名目にしている監査は、予告の入った翌日から始まる。
50億の金がコンピュータ上から消えているとなったら、これは資産隠しと思われても仕方がない。
下手をすると、業務停止か営業停止、最悪、営業免許取消しということにもなりかねないのだ。

しかし、コンピュータ上で5日前に50億の入金があったことにして、刻一刻と変動する金利・為替相場をこの5日間分、その金に反映させ、しかもそれを、修正・訂正の痕跡を残さずに処理するとなったら、システム・財務の人間が総力をあげて取り組んでも1週間はかかる作業である。

金銭面で会社への実質的損害はなく、氷河のいない時の出来事として全責任を瞬に負わせてしまえると、その社員は浅はかにも考えたらしかった。
データ復旧にかかる人件費と時間という膨大な損害を無視すれば、確かに、その社員の思惑通りになっていたのかもしれない。

突然の監督省庁の監査さえ実施されなかったならば。


監査開始は、翌日午後1時。
対応に費やせる時間は13時間にも満たない。

怒りもやりきれなさも、既に氷河の胸には湧いてこなかった。
ただ瞬が心配で、氷河は深夜のオフィスに車を飛ばしたのである。





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