その日の監査は、氷河と瞬の努力の甲斐あって、あっけないほど無事に済んだ。 財務本部のエリートたちは、瞬の経歴などをわざわざ披露しなくても、瞬を見直すことになるだろうと、氷河は思ったのである。 彼等は、地位よりも肩書きよりも年功よりも、その実力と才能を重視する人種なのだから――と。 しかし。 監査が無事終わった翌日。 瞬は、氷河に約束した通り、財務本部のエリートたちに前向きに向かい合おうと、プロジェクト推進室のドアをノックした。 今回は何とか無事に済んだから良かったものの、この対立状態が続いたら、いつまた会社に損害を及ぼすような事態が持ち上がらないとも限らない。それは社員のためにもならないことではあるのだ。 瞬がプロジェクトルームに足を踏み入れた途端、室内に緊張が走る。 瞬は、その緊張感に押し潰されそうになりながら、いちばんドアの近くの席についていた女性に、手にしていた箱を差し出して言った。 「あの…これ、ケーキ……僕が焼いたケーキなんですけど……。いつもは失敗するんですけど、昨日はうまく膨らんで、それでプロジェクトチームの皆さんで食べていただけたらと思って……」 瞬より10は歳上のその女子社員は、一瞬困惑した表情になり、他のメンバーたちの思惑を探るように、仲間たちの顔を見回した。 そして、にこやかに微笑を――含みのある微笑を――瞬に向けた。 「まーあ、どーもありがとうございます。常務がお作りになったケーキをいただけるなんて、光栄の極みだわ。早速お茶をいれて切り分けます」 そう言って、彼女は瞬の手からケーキの入った箱を受け取り、そして、それを床に落とした。 「あらぁ、手が滑っちゃった。すみません〜。すぐ片付けますね。こんなの食べられないですもんね」 「あ……」 さすがの瞬にも、それがわざとだということはわかったのである。 わかったからと言って、その“不注意な”社員を咎めることは、瞬にはできなかったのだが。 「いえ……いいんです。僕が片付けます。お仕事の邪魔してごめんなさい」 瞬にできたのはただ俯いて、零れ落ちてしまいそうな涙を耐えることだけだった。 周囲でくすくすと、瞬を嘲るような含み笑いが起こる。 瞬は、それにも必死で耐えたのである。 これは、今まで、現実に真正面から向き合い、事態の根本解決を避けてきた自分への罰なのだと、自身に言いきかせて。 もっと早く、最初から、歩み寄りの努力をしなければならなかったのだ。 幸運にも、彼等の指導者である氷河が自分の理解者だったのだから。 その努力を怠ったツケが、今まわってきただけなのだと、瞬は辛い気持ちで思っていた。 |