その夜、城戸邸の2階にある瞬の部屋のバルコニーに、ジュリエットにいかれたロミオよろしく取りついた人影がひとつあった。

時刻は0時を回り、9月の月は西に傾きかけている。

「瞬」

寝つけずにバルコニーに出ていたジュリエットは、医者にも治せない病に取り付かれたロミオの声と姿とにすぐに気付くことになった。

「氷河…… !? 」

「誕生日、おめでとう」

白鳥座の聖闘士は、ロミオの100分の1も地球の重力の支配を受けていない。
易々とバルコニーの手摺りを乗り越えた氷河は、瞬がその名を言い終える前に、憂い顔のジュリエットの前に立っていた。

「…………」

こんな時刻に、こんな場所で、こんなふうに『誕生日、おめでとう』。
瞬があっけにとられてしまっても、それは無理のないことである。

しかし、恋の病にとりつかれている男には、自分の言動の奇天烈さに気付いている様子もなかった。

「あー、結局、プレゼントを買いに行く暇がなくて」
氷河は、瞬の困惑をよそに、ひどく呑気な口調でそう言った。

「ば…馬鹿なことするから天罰だよ!」
一呼吸遅れて、気の強いジュリエットが無鉄砲なロミオを怒鳴りつける。

「……おまえのために何かしたかったんだ。それくらい、おまえだってわか――」
「僕は! 僕は、氷河が元気で幸せでいてくれれば、それがいちばん嬉しいの! 自然に、無理なんかしないで、特別のこともいらなくて、ただ僕の……」

氷河の言葉を遮っておきながら言葉に詰まってしまった瞬の肩に、一瞬躊躇してから、氷河がその手を伸ばす。
幸い、瞬は、その手を振り払ったりはしなかった。

「おまえは無理をするくせに。だから、俺だってたまには……」

「してない! 僕は氷河のために無理をしたことなんかない! 僕が氷河のために何かしたことがあるのなら、しなきゃならないから、せずにいられないから、そうしただけだもの! 僕は、そういうことしかしたことない!」

「…………」
闘いの場で、あるいは普段の生活の場で、瞬に救われ、支えられてきた幾つもの場面を、氷河は思い出していた。
それも、瞬には特別のことではなく、自然で当然のことだったのか、と。

しかし、氷河にしてみれば、だからこそ、だったのである。
「そんなふうにな、いつも自然に強いおまえには、一大決心をしなきゃ力の出ない人間もいるんだってことがわからな――いや……」

その先を、氷河は口にはしなかった。
自分も瞬のような人間になるべく努力すればいいだけなのだと思い直して。


「気負わずに……おまえの側にいられる人間になるさ、そのうちに、俺も」

そういう人間になりたいと、氷河は心底から思った。





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