「呆れたぞ。おまえはいつからこんなにトンマな奴になったんだ」

氷河が意識を取り戻すなり、彼の上に降ってきたものは、アイザックの蔑みの言葉だった。
「常套手段じゃないか。何の関係もない第三者をだしに使うのは」

「……つ!」

そこは、どうやらあのホテルの一室らしかった。
痛みの残る後頭部を手で押さえようとして初めて、氷河は自分が両手を背後に縛められていることに気付いた。
思考回路が、どうも鈍っている。
床に転がされていた上体を起こし、氷河は厚みのある絨毯の上から、自分を見下ろしている元同僚を睨みつけた。

「瞬は!」
とにかく、それがいちばんの気掛かりである。
氷河の詰問を、アイザックはせせら笑った。

「隣の部屋で大人しくしてもらってるさ。俺の狙いは貴様への制裁で、あの子じゃないからな」
「俺への制裁……? 瞬がターゲットじゃなかったのか?」

侮蔑の入り混じった視線や言葉はともかく、アイザックのその返答だけは氷河を安心させてくれた。
氷河が元いた諜報機関を抜けてから既に1年近くが経った今頃になって、組織が裏切り者への制裁に動きだすのもおかしな話だとは思いはしたのだが。


「さーて、どうしてやろうか。貴様に情報を盗まれて恨み骨髄の組織か企業へでも引き渡してやるか。それとも……」

意地の悪い笑みを浮かべて、アイザックが氷河の股間を親指で指し示す。
「ここに電極でも通して使い物にならなくしてやるか」

「それは困る」
アイザックが提案した、古典的でありながら、しかし実に効果的でもある拷問方法に、氷河は苦笑した。
「ここは今、俺本人より多忙なんだ」
はっきり言って、本音だった。

「ああ、あの可愛子ちゃんか。まだ女も知らないような顔をしていたが、貴様をここに転がしておいて俺がいただくのもいいな」
「おまえにそんな趣味があったとは初耳だ」
「俺も、貴様にそんな趣味があったと聞かされた時にはえらく驚いたもんだが、側で見て納得した。あれはへたな女よりそそられる。貴様に仕込まれて、さぞかしいい具合いになっているだろう。おまえはそっちの方だけは、昔からまめな奴だった」

「…………」
アイザックの言葉を否定する気はないが、それと瞬のこととは話が別である。
氷河は、アイザックに怒りを向けている振りをして、自分の手の縛めを解く手段を求め、僅かに指を動かした。

その微かな気配を感じ取ったアイザックが、ご親切な忠告を垂れてくる。
「ふん。それは外せないぞ。金属じゃない。熱硬化性樹脂で、手首や腕の関節を外したくらいで逃げられるものじゃないからな」

「…………」
アイザックの言う通り、のようだった。
ここで無駄なエネルギーを使うのは得策ではない。
氷河は早々に縄抜けを断念した。

そして、自分が追い詰められていることを敵に悟らせぬために、無表情になる。
しかし、アイザックは、氷河の眉を動かす方法をしっかりと心得ていた。






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