「氷河…… !! 」 隣室から連れてこられた瞬には、特に危害を加えられていた様子はなかった。おそらくは、瞬を非力な子供と侮っているのだろう。瞬は手足の自由も奪われてはいなかった。 最後に氷河が目にした通りの姿で、瞬は氷河の前に連れてこられたのである。 「瞬……」 こんな不様なところは、瞬には見せたくない。 氷河は、壁に背をもたれさせた格好で、無理に瞬に笑ってみせた。 「君には恨みはないんだが、まあ、氷河と関わってしまったことを不運と思って――」 勝ち誇ったようなアイザックの言葉を、瞬が鋭く遮る。 「馬鹿げたことはやめてください! 狙いは何ですか? テロメアの処理データ? それとも、ラボのコンピュータにアクセスするためのパスワードなの? 何だって、教えます。だから、氷河を放して!」 代価を考えれば数十億は下らないであろう“秘密”の提供を、瞬が自ら、あまりにあっさり言い出したことに、アイザックは目を剥いた。 「反テロメラーゼの対処方法の開発が完了したのか」 「……そういうわけではないんですが」 「ちっ」 口ごもる瞬の様子を見たアイザックが、音を立てて舌打ちをする。 対処方法が完成、もしくは完成に近いところまできているから、瞬は簡単に機密の提供を提案してきたに違いない――と、アイザックが考えたことは傍目にも明らかだった。 対処方法が開発されてしまえば、脅迫手段としての瞬の持つ情報の価値は下落するのである。 制裁が目的と言いながら、やはりアイザックは、瞬の持つ情報を狙っていたものらしい。 「なら、せめて、氷河への制裁だけでもさせてもらわねばな」 「制裁? そんなことをして何の意味があるの。氷河のことに関しては、僕はあなた方の組織とは話をつけてあります。グラードとあなた方の組織と、今の世の中でどちらに力があると思っているの」 アイザックの属している組織が国家の後ろ盾を失った今となっては、無論、その答えは『グラード財団』である。 改めて考えてみるまでもなく、瞬の言う通り、彼等の組織にとって氷河への制裁は全くの無意味――むしろ、有害――なのだ。 だが、アイザックは、どうやら組織のためだけに動いているのではない――らしかった。 「俺の気が済むさ」 「それですっきりするような“気”なら、放っておいても時間が経てば収まります。氷河に危害を加えるのはやめてください」 瞬のやわらかい響きの口調には、しかし、仮借がない。 そして、論理的だった。 「氷河を殺す気はないのでしょう? あなたのいる組織、今は合法的な組織の体裁をとっていますよね? そこまでのリスクを負う訳にはいかないでしょう。なら、いくら氷河を痛めつけても、結局癒える傷を与えるだけで、それも無意味だと思いますけど」 「傷が癒えるまで、こいつは苦しむだろうさ」 「ですから、その程度で収まる“気”なら、放っておいても平気でしょうと申し上げました!」 アイザックの行動の目的は、建前上は、瞬の持つ情報の獲得だったのかもしれない。 それは、彼の組織からの命令であったのかもしれない。 しかし、彼の真の目的は他にあるようだった。 “建前”を看破されてしまったアイザックの方に、理屈の上での勝ちは望めない。 そして、彼は理屈を放棄した。 「いっそ、こいつの前でおまえを犯してやろうか」 瞬は、アイザックの自暴自棄な脅しに軽く肩をすくめて微笑った。 「あ、それは困ります。拷問なら耐える自信はあるんですが、そっちの方だと、僕、感じやすいらしいので。氷河の前でそんなとこは見せられません」 「…………」 咲きそめた春の花のような面差しの瞬にそんなことを微笑って言われ、アイザックが混乱し始めているのが、氷河には見てとれた。 ほんの子供だと思っていた瞬が、頼みの綱のボディガードが自由を奪われている姿を見せられても、全く怖れを感じていないらしいことに、アイザックは不審を抱いているのだ。 アイザックの疑念と混乱とに気付いているのかいないのか、瞬は相変わらずにこにこ微笑んでいる。 「でも、たとえそんなことをしても、それが無意味なのに変わりはありませんよ。それでも僕は氷河が好きだし、そんなことで氷河は僕を嫌いになったりしませんから。ね、氷河」 「それは……そうだが……」 それはそうである。 それは、そうなのだが。 |