楽園の悪夢

〜 YUEさんに捧ぐ 〜






「あれ、兄さん、珍しい」

瞬は、ダイニングテーブルに兄の姿を見い出して、瞳を見開いた。
始業の1時間以上も前に起床している兄というものを、瞬は高校入学以来――もとい、瞬が小学生だった頃から――数えるほどしか見たことがなかったのだ。

「俺もたまには早く目が覚めることがあるんだ」
瞬の家の朝食は、洋食組の瞬と母、和食組の一輝と父とに別れている。
珍しく早起きをし(てしまっ)たらしい一輝の前に並んだ食器は既に空だった。

「100年に1回くらい?」
「18年に1度だ」
つい先日18歳の誕生日を迎えたばかりの兄のその言葉に、瞬は苦笑した。

「100年も18年も同じことですよ、一輝は」
瞬たちの母が、長男の自信に満ちた断言に呆れたような顔をする。
一輝は、母のその言葉をどこ吹く風で受け流した。


「おまえこそ、いつもより早くないか。いつもこんなに早かったか」
「夕べ、星矢から電話があったの。数学の宿題が手付かずだから、写させてくれって。で、星矢んち寄ってこうと思って、今日はいつもよりちょっと早め。星矢も、いつもなら一輝兄さんと同じで遅刻ぎりぎりだもん。早めに学校連れてかないと、数学1時限目だから、写してる時間もなくなっちゃう」

「ふん。あまりあのお調子者を甘やかすなよ。時間がある。俺も付き合ってやろう。可愛い弟が、あの馬鹿に利用されっぱなしなのは気にいらん」
「星矢はそんなんじゃないですよ。でも、付き合ってもらえるのは嬉しいです。兄さんと通学できるなんて、高校入学以来初めてのことだもの」

瞬の中には、つい先日高校に入学したばかりのような気分がまだ残っていたが、しかし、実際には、瞬が高校生になって既に4ヶ月――1年の3分の1――が過ぎている。
その間、瞬は一度も兄と一緒の登校というものをしたことがなかったのだ。

「そうだったか」
「そうです! なんたって、兄さんの早起きは18年に1度なんだから」

「そうよ。瞬ちゃんの入学式の日にも、一輝は寝坊してたわ。せっかく同じ家に先輩がいるのに、瞬ちゃんは一人で学校に行ったのよ」
たしなめるように言う妻に同調した父親が、それまで読んでいた新聞をテーブルの上に置いて、初めて家族の顔を見渡した。
「まったく、おまえは、弟思いなんだかどうなんだかわからん兄貴だな」

「兄さんは優しいですよ、昔っから。僕がいちばんよく知ってます!」

兄思いの弟の言葉に、夫婦は互いの顔を見合わせて、吹き出すように微笑した。






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