「……瞬! 瞬、大丈夫か」


「……氷河」

瞬が瞼を開けると、視界に、夏空よりも夏の海よりも青い色の瞳が飛び込んできた。
金色の髪が、汗と血糊とで湿り気を帯びている。

「氷河……」

瞬の周囲にあるものは、氷河を除けば、岩と闇だけだった。

そこは、聖域の奥まった場所にある岩場。
時刻は、心安らぐ夕暮れではなく、不安の募る深夜。
瞬を包んでいるものは、漠然とした喪失感ではなく、あまりにも身近で現実的な生存の危機だった。

瞬はゆっくりと身体を起こした。
頬が涙で濡れているのがわかる。
岩場の影で、氷河の膝を借りて眠っていたらしい自分に、瞬の心は、少しの間をおいてから立ち戻った。

徐々に記憶が鮮明になり、やがて、瞬はすべてを思い出した。

聖域にまた新たな敵が現れたこと。
聖域の奥にまで入り込んだ敵を追って夜を迎え、今は、朝と、朝になれば再開されるであろう闘いを待っているのだということ。

「どうしたんだ、悪い夢でも見ていたのか」
「悪い夢……?」

氷河が、瞬の頬に手で触れ、その指で涙を拭い取る。

「うん。悪夢だった」
(ただの夢)

「この現実よりもか」

「そうだよ」
(あんな哀しい僕はどこにも存在しない)


瞬は、まだ、楽園の恐怖を引きずっていた。

「星矢たちの小宇宙が弱まってきているな」
「でも、生きてるよ」

思考より先に感覚が、現実に回帰する。

「生きてるよ。大丈夫」
噛み締めるように、瞬は呟いた。

「朝まで動くことはできそうにない。もう少し休んでろ」

気遣わしげな氷河の声音が心地良く、だが、瞬は横に首を振った。

「……ううん。もう、あんな悪夢の中に戻りたくない」

幸福な――幸福な悪夢。
絵に描いたように何もかもが揃っている家庭と、平和で穏やかな日々。

だが、そこに氷河がいない。

それだけで、瞬にはその平穏が悪夢だった。
最悪の悪夢だった。

あの悪夢に比べたら、耐えられない現実などないと思えるほどの。






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