「じょーだんじゃないぞっ !! 」 それで収まらないのは、聖域にやって来るまで、瞬へのアプローチ権どころか直接的接触権・合体権までを専有していた氷河である。 最下層の階級である青銅聖闘士とは言え、既得権を剥奪されかけて、可愛らしく泣き寝入りなどしていられない。 怒り心頭に発している氷河をなだめたのは、この一連の茶番劇で聖闘士というものへの幻想を捨て、見切りをつけ、開き直った紫龍だった。 「いや、しかし、これは考えようによっては渡りに舟の企画だぞ。まともにかかったら多勢に無勢だが、トーナメントとなれば一対一、おまえが勝つ可能性も出てくる。要するに、おまえがこの大会で優勝すればいいだけの話なんだ」 こうなったら、与えられた状況を楽しむしかない。 紫龍は、意外なほど、サガの提案に乗り気だった。 自身に実害がないのであるから、当然のことではあるのだが。 「俺は、好きでこんな大会にやってきたわけじゃないぞっ! もともと、適当なところで負けて、さっさと瞬とトンズラするつもりだったんだっ!」 星矢も紫龍も、実のところは、似たり寄ったりの考えでいた。 所詮、人は名誉などという食えもしないもののために本気になったりはしないものなのである。 古代オリンピックにおいて、名誉のために戦ったとされる各ポリスのアスリートたちとて、優勝者に与えられる国家からの年金のために、必死になって戦っただけなのだ。 「しかし、こういう事態になった今、ここで負けるわけにはいくまい」 「…………」 紫龍の言うことは尤もだった。 ここで負けたら、少なくとも4年後の武道会で優勝するまで、氷河は人前で大っぴらに瞬といちゃつくことが不可能になる。 氷河は、憤懣やるかたない思いで、今朝発表になったばかりの対戦表を手に取った。 「前回の実績でシード操作はされているらしいぞ。誰も本気で闘ってはいなかっただろうがな」 紫龍は既に対戦表を頭の中にインプット済みだった。 「まず、アイオロスは生死不明。老師、ムウが棄権を表明している。今のところ姿を現していない一輝と、当然瞬もこの表から除外。おまえの1回戦の相手は檄だから、問題外で、2回戦は、星矢と邪武の勝利者だ」 「俺が勝つから、おまえとの二回戦は腹痛でも起こしたことにして棄権してやるよ」 星矢は、おそらく全聖闘士の中で最も名誉というものに価値を置いていない聖闘士だった。 「で、おまえとの3回戦に勝ち上がってくるのは――ミスティ、アルゴル、シャイナ当たりか」 「え? 紫龍、おまえ、このブロックだろ」 「緒戦の蛮はともかく、次の対戦相手がミスティだ。真面目に闘う気にはならん。あんなのと真面目に闘う方が恥だ」 原作及びアニメ本編でミスティと真面目に(?)闘った星矢は、紫龍の言葉にムッとしたのだが、この話の世界はそういうものとは無関係なために、星矢は自分が何故不快感に襲われたのかがわからなかった。 そして、わからないことをいつまでも気にしている星矢ではない。 「ここはアルゴルだろ、瞬に見とれて怪我したっつーハンデがあるけど、他の白銀聖闘士たちとは執念のレベルが違うような気がするぜ、あのにーちゃんは」 「だな」 星矢と紫龍は、当事者である氷河よりも勝利の行方を占うのに熱心だった。 もちろん、当事者でない気楽さ故に、である。 「ふむ。そして準々決勝まで進めば、さすがに青銅や白銀は消えて、ミロかアルデバラン」 「準決勝は、アイオリア、シュラ、サガの誰かだろ」 「悪党モードで来るとサガだな」 「決勝は、判断に迷うところだ。アフロディーテかデスマスク、シャカ……。下手をすると、師弟対決だぞ」 「む……」 それまで、紫龍たちの考察に耳を傾けているだけだった氷河が、初めて反応らしい反応を示す。 「いや、たとえ我が師と言えど、瞬に手出しされてたまるか」 恋の前には師弟愛など、屁でもなければ屁も出ない。 「その意気だ」 紫龍は、決死の覚悟の氷河を無責任に激励し、 「いやー、ムサい野郎と恐いねーちゃんだけの武道会なんて退屈なだけかと思ってたら、結構面白いことになってきたじゃんv」 星矢もまた無責任にこの事態を楽しんでいる。 「瞬、どーだ、名だたる聖闘士たちがおまえのために、命懸けのバトルに挑もうとしているんだ。いい気分だろう」 紫龍は、その場でただ一人、この展開を楽しまず白けきった目をしている瞬に、脳天気に声をかけた。 しかし、せっかく監視の目を盗んで氷河の部屋までやってきたのに、少しも氷河に相手をしてもらえない瞬が、いい気分でいるはずがない。 「僕の意思を無視して、勝手に僕を賞品にして、退屈しのぎの玩具にしてるだけじゃない。そんな馬鹿げたドタバタ劇になんか、僕、興味ないもん。ね、氷河、それより、ドライブ行こうよ。ガソリンも貰えたしv」 「いや、俺は明日からの闘いに備えてトレーニングをしておく」 「え……」 実際のところ瞬は、それまで、この事態を楽しんではいなかったが、不機嫌でもなかった。 どうでもいいと思っていただけである。 しかし、ドライブの誘いを氷河に断られて、瞬は突然不機嫌になった。 否、衝撃を受けた。 瞬は、これまで、どんな些細なことでも、ただの一度も、氷河に拒まれたり逆らわれたりしたことがなかったのだ。 「馬鹿か、瞬。ここで氷河を連れ出して、車なんか乗り回したりしてたら、氷河が他の奴らに目をつけられるだけじゃないか。おまえ、氷河を殺す気かよ」 「…………」 そこまで言われてしまっては、瞬も我を通しにくい。 そんな下らないことで、自分の意思を曲げざるを得ないことが、瞬にはどうにも腹立たしくてならなかったのであるが。 「い…いいもん。氷河が付き合ってくれないなら、僕、そこいらへんにいる誰かを捕まえてドライブ行くから!」 瞬は、つんと唇を尖らせ、彼らしくない乱暴な足取りで氷河の部屋を出た。 後に残された氷河の顔が容易に想像できて、少し胸が痛んだ。 |