「……そうだな。俺には夢というものがない」

「欲しいものは大抵のものがひどく簡単に手に入る。物も、人を動かすことも、俺がちょっと頭を使えば、できなかったことなどない。人を信じないと決めた人間は利口になるもんだ。そんな人間にできないのは、人の心を動かすことだけだ」

「おまえは、俺にできないことを易々としてしまう。自分では意識もせずに。おまえは、誰からも愛されている。誰をも愛しているからだ。信じているからだ。俺には、それができない」

「氷河……」

「おまえに愛してもらえたら、俺もそういう人間になれるかと思った」

「…………」

瞬が返す言葉をすぐに見付けられなかったのは、普段聞き慣れない言葉にほんの少したじろいだからだった。
『愛』という言葉を、瞬は日常で使ったことがなかった。
使う人間にも会ったことがなかった。

そんな言葉を衒いもなく使える氷河に、瞬はほんの少しだけ気押されたのである。
それは、得体の知れない不可思議な存在として――不可思議で巨大なものとして――いつも瞬の心の中にあったものだった。

実の親には与えられなかったが、養父母は惜しみなく与えてくれるもの。
実の親は与えてくれなかったのに、瞬の心の中に確かに存在する不可思議なもの――。


「僕を……騙してたんじゃないの……」
「俺は、おまえだけは騙せない。おまえは、やっと見つけた俺の夢だから」

「……言ってて恥ずかしくないの」
「俺は、何か恥ずかしいことを言ったか」

「…………」


真顔で尋ねてくる氷河に、瞬は僅かに苦笑してしまった。
本当の氷河は、自分の思っていた氷河とは少し違うが、星矢たちよりも自分の方が本当の氷河に近いところにいたような気がした。






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