春の祭典


〜 たれたれぱんださんに捧ぐ 〜






「皆様、ご機嫌いかがでございましょう。てちゃ子の部屋でございます」

タマネギのような頭をしたおばさんが、テレビカメラに向かって台本通りの挨拶をした。
この番組は10年を超える長寿番組らしいが、俺はこれまで一度も見たことがない。
来日3年目にして初めての視聴が、その収録現場ということになったわけだ。

「今日のお客様は、セルゲイ・ディアギレフの再来とも言われておりますキグナス舞踊団  主宰キグナス氷河さんです。氷河さん、初めまして。ようこそ、てちゃ子の部屋へおいでくださいました」

主宰は、タマネギおばさんの型通りの紹介に、素っ気なく、
「ああ」
とだけ答えた。
さっきまで一緒に打ち合わせをしていたのに、初めましてもクソもない――という表情と口ぶりだった。

主宰は本当はこんな番組に出る必要なんかない。
1ヶ月後に初演を向かえる『春の祭典』のチケットは、発売3時間で1ヶ月間の全公演分が売り切れている。
雑誌も新聞も、頼んだわけでもないのに、キグナス舞踊団の特集を組んでいるし、今更宣伝の必要も無い。
公演の成功は約束されている。
これまで通りに絶賛を受けることも、ほぼ間違いがない。
なにしろ、興行主兼プロデューサーが、20世紀が生んだ天才興行師ディアギレフの再来といわれているキグナス氷河なら、振り付けが、これまた第二のローラン・プティと言われている城戸瞬なんだから。
踊り手が、俺を筆頭に凡才の集まりでも、この二人の手にかかったら、その舞台は観客を魅了するに決まっているのだ。

「ところで、キグナス氷河さんというのは、変わった芸名ですよね。本名は非公開になっているようですが、何とおっしゃるんですか」

タマネギおばさんが、台本にないことを聞いている。
主宰は当然ノーコメントだ。
むっつりとして答えない。

タマネギおばさんは、カメラの前でなら、主宰も少しは愛想が良くなって、これまで秘していたことにも答えるだろうとでも考えたのだろうか。
主宰に、そんな一般人のような反応を期待しても無駄だっていうのに。

「えーと、キグナス舞踊団の舞台はあれだけ斬新な振り付けや演出にも関わらず、基本は古典バレエと伺っておりますが」

タマネギおばさんが、台本に戻る。
そう、その方が無難だ。

「古典バレエの基礎を身に付けることは、人間の身体を理解することだからな」
「まあぁぁ、そーなんですの!」

タマネギおばさん、場を取り繕うのに必死らしい。
大仰に驚いて、さも意義のあることを聞き出したような顔になる。

「ところで、わたくし、前公演の『ラ・リュミエール』を5回も拝見しましたのよ。その前の『ファサード』に至っては7回ですわ。専らの噂でございましょ。ダンサーに何らかのアクシデントが起きた時には、氷河さんがその代役をお務めになるって。もしかしたら、もしかしたらと期待しながら、劇場に通いましたのよ、わたくし」

ああ、ここにも馬鹿がいたか。
まあ、そのアクシデントを期待して、何公演分もチケットを買う客がいるせいで、うちの舞踊団のチケットはプラチナ・チケットになっているわけなんだが。


「今の俺はプロデューサーだ。舞踊家じゃない。そんな時には、別の代役を立てるし、それが不可能なら、公演自体を中止する」

主宰の声に、こんな場では珍しく力が入る。
これが言いたくて、主宰は出演する必要もないテレビに出ることにしたのかもしれない。
なにしろ、前公演の時には、主催のダンス目当てのファンが、主演ダンサーのシューズに画鋲を入れるという、超古典的なジョークを飛ばしてくれたんだから。
今度の『春の祭典』の主演ダンサーに抜擢されてから、俺もシューズを履く時は必ず中を確認してから履くようになった。

「どうして現役を退かれたんですか。氷河さんはまだ 27歳、むしろ今がいちばん脂が乗った時期でございましょ」

「俺のダンスの目的は果たされた。これ以上踊る必要はない」

そう言って、主宰は一瞬視線をこちらに向けた。
無論、俺を見たわけじゃない。
俺の隣りに立つ、我が舞踊団の天才振り付け師を見たんだ。

「1公演のチケット代が3万円を超えるというのは法外だと批判を受けていらっしゃるようですが……。非公式ルートのチケットショップなどでは、当たり前のように20万、30万を超えた額で取引されているようですわよ」

「得をしているのは客の方だ」

聞きにくいことを平気で聞くおばさんだな。
主宰の返事も嫌味なくらい自信に満ちてるが。
俺の踊りにそれほどの価値があるとは思えないぞ。
だが、まあ、瞬の振り付けには30万出しても見る価値はあるだろう。それを3万で見られるのなら、確かに客は得をしていることになる。

「は? あ、左様でございますか」

おばさん、主宰の言葉の意味がわからなかったと見える。
つくづく思うが、主宰がテレビ向きなのは顔だけだ。無愛想すぎる。

「えー、では、今度の『春の祭典』にご出演されるハーゲンさんとフレアさんをご紹介いたしましょう。ハーゲンさんはアイスランドご出身、フレアさんはフィンランドご出身の舞踊家で、国際的にも評価の高いキグナス舞踊団ならではのメンバーです」


……予定より5分も早いお呼びだ。
おばさん、主宰の口数の少なさにめげたらしい。
フレアが苦笑いしている。


「ごめんね、ハーゲン、フレア。氷河の分も喋ってきてくれる?」

瞬が、俺の背を押した。
後で主宰が怒るだろう。
『俺以外の男に馴れ馴れしくするな』とか何とか言って。

20世紀最大のプロデューサー、セルゲイ・ディアギレフが自分の舞踊団のニジンスキーやマシーンと愛人関係にあったように、当舞踊団の主宰も、この、まだ10代の小さな天才振り付け師に入れあげている。
ディアギレフも相当焼きもち焼きだったらしいが、主宰には及ぶまい。
主宰は、瞬が視線を向けた一輪の花にだって焼きもちを焼くんだから。






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