殺生谷。

あの時まで、氷河は、瞬を、天使とまでは言わないが、稀有なほどに善良で良質の人間だと思っていた。

仲間より――自分より――兄を庇った瞬の理不尽を、唯一の肉親が相手なら仕方のないことと認め、許そうとし――許そうと思うほどに許せなかった。

氷河は、瞬の兄よりも自分こそが瞬に最も近いところにいると思っていた。
それを、瞬は、あっさりと否定してみせたのだ。 

人は、天使に嫉妬や独占欲は感じない。
感じた途端に、その崇高なものは人間の次元に堕ち、そして、人間として見た瞬は、実に魅惑的な生き物だった。

優しい肌、やわらかな唇、いつも花に霞んでいるような髪と、これだけは深くくっきりとした線を持つ瞳。

微笑む時に微かに右に傾く髪、指先を軽く曲げて口許に運ぶ癖、伸ばされた細い腕の生めかしさ――人間の地平に降りてきた瞬は、その何もかもが氷河の官能を刺激するものだった。


今、抑えることができたとしても、いずれ、その抑制はきかなくなるだろう。
否、既に今、氷河は自分を抑えることができそうになかった。


氷河は自分を睨んでいる瞬の肩を押して、再びベッドの上に瞬の身体を横たえさせた。
今度は瞼を閉じようとしない瞬の横に、腰をおろす。

決意と憤りで固く引き結ばれている瞬の唇に中指を置き、どこに触れてその覚悟を確かめればいいのかを探すように、氷河はその指を少しずつ下に移動させていった。






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