「このところ、御所がうるさくてな」

『身の回りの世話をさせる雑仕女くらい置いたらどうだ』という、お決まりの台詞を吐いてから、そう言ったのは、上の兄・吉平だった。

「宮廷に献上された白い猿が、日がな一日ギャーギャー騒いで、帝や女房たちが安眠できずにいるんだ」
「眠れぬというのなら、猿小屋を寝所から離せばいいだけのことじゃないか。たかが猿一匹が騒ぐくらいのことで、陰陽博士が二人も揃ってお出ましとは、墓の下の親父が泣くぞ」

吉平・吉昌の父、氷河の父とは、無論、10年前に亡くなった、陰陽道の大家・安倍晴明である。
占験・天文・呪術に秀で、落ちぶれかけていた安倍の家を見事に復興させた、いわば、やり手。
式神を駆使して、人々に害を為すものを退けたというが、無論、その様を実際に見た者はいない。

「たかが猿一匹では済まされん。白猿は宋の宮廷から贈られた瑞兆を知らせるもの。その猿に、こう毎日不気味な金切り声をあげられては、帝が不安になられるのも当然のことだろう。この不吉な事態を、安倍の家の者として、安倍晴明の血を引く者として、おまえが収拾をつければ、我が家への帝の覚えはなお一層良くなる」

「前にも言ったと思うが、俺は地味〜にひっそりと暮らしていたいんだよ」

氷河が、うんざりした口調で兄にぼやいてみせる。
それは、自分の手間賃を釣り上げるための、氷河のいつもの常套句だった。

安倍の家の者として、氷河が自分の力を使っても、結局、その手柄は兄たちに帰することになる。
実際、吉平は既に、亡き父と同じ従四位下にまで出世している。更に上の地位に就くことも可能だろう。
腹違いの弟の仕事次第では。

切り札は氷河が手にしていた。

もっとも、氷河が『ひっそりと暮らしていたい』と言い張るのも、決して、手間賃釣り上げのためだけの嘘偽りではなく、ある意味では真実の気持ちだったのだが。

正室として世に認められることのなかった女性を母に持ったとはいえ、高名な安倍晴明の血と能力を受け継いだ氷河が、隠遁生活にも似た暮らしを続けているのは、彼の髪のせいだった。
彼の髪の色は、陽光を受けて輝く秋の稲穂の色――すなわち、金色――だったのである。

安倍晴明の母が狐だという根も葉もない噂が立ったのも、彼の最晩年に氷河が生まれてからのことだった。


「帝から下賜される金品すべてと、安倍の家から銀を10貫」
「俺には金品、兄君には出世、たかが猿1匹のことで、めでたく従四位上になるというわけか?」

「不服か」
「不服などないさ。たとえ、安倍の家のためとはいえ、この髪を人目にさらすのが辛いだけだ」
「銀を20貫だ」
「いいだろう」

値が倍になると、氷河はあっさりと兄たちに頷いた。
たかが猿1匹のことで、1年は遊んで暮らせる金を手に入れられるなら、こんなありがたい猿もいない。

猿が騒ぐ理由など、どうせ、近くに野良犬でも居ついてしまったくらいのことに決まっている。
それを探し出して、『この犬には、猫の怨霊がついておりました』とか何とか、馬鹿げた話をでっちあげれば、それだけで朝廷の貴族たちは大袈裟に感嘆してくれるのだ。
何しろ、そう告げるのが、狐の毛の色の髪をした、かの安倍晴明の晩年の愛児なのだから。

そういうくだらない人間が寄り集まったところなのだった、“内裏”というところは。






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