「急性骨髄性白血病?」 仲間たちと共に、冥界から生還するという馬鹿げた奇跡を起こしたばかりだった俺は、最初、女神のその言葉をも馬鹿げたジョークだと思った。 なぜ、瞬がそんな病に侵されなければならないんだ。 冥界には放射能が満ちていたとでもいうのか――と。 笑い飛ばそうとして、だが、俺は、女神の沈痛な面持ちに、事態の深刻さを悟らざるをえなかった。 この馬鹿げた事態は、事実なのだと。 「白血病……白血病なら、骨髄移植をすれば治るんだろう?」 冥界から帰るなり、グラードの医療センターに収容された俺たちは、瞬を除いて全員が、もう2週間も前に鬱陶しい薬の臭いから解放されていた。 俺も星矢たちも、瞬だけがいつまでも退院を許されないことに不審を抱き始めていた矢先の、この馬鹿げたジョーク。 「それは、進行の遅い慢性白血病の話よ。医師は、瞬に骨髄移植は無理だと言っているわ。薬物療法か、寛解導入療法、造血幹細胞移植療法あたりで延命処置を施すことしかできないって」 「それをすれば、瞬は治るのか」 「……瞬の病気は不治の病なの」 「瞬は聖闘士だ」 「聖闘士が普通の人間と違う身体を持っているわけではないわ」 「…………」 それは、俺もよく知っていた。 俺も瞬も、身体は普通の人間だ。 敵に攻撃されれば傷付き、血を流す。 瞬は、抱きしめれば温かく、やわらかく、そしていつも心地良かった。 「道は二つ。そうね、二つあると思うの。これから、瞬を襲う痛みを和らげるために麻薬を投与して、安らかな死を迎えるための末期治療に入るか……」 女神の馬鹿げたジョークは続く。 「あるいは――これは、まだ、アメリカで数例あるだけだけど、いつか治療方法が見つかるまで、クライオニクス処理を施すか」 「クライオニクス? 何だ、それは」 「生体を極低温の不活性状態に置く処置よ。SFなんかで言う、コールド・スリープね。瞬の身体を液体窒素で凍らせて、その時が来るまで眠らせておくの」 「そんなことが……!」 そんなことができるものだろうか。 短い休息すら与えられずに、闘いばかりが続いた日々。 やっと全てが終わり、2人で静かな時を過ごせるようになるのだと、俺たちは信じていたのに。 「それ以外に道はないのかっ !? 」 「あとは……効果がないかもしれない療法を続けるくらいしか……。でも、それは……」 女神の表情が――沙織さんの表情が――苦悶に歪む。 これまで、彼女の聖闘士たちが傷付くたびに、彼女もまた傷付いてきた。 しかし、その傷が彼女を打ちのめしたことなど、本当はこれまでに一度もなかったのだろう。 彼女はいつも、彼女の聖闘士たちの勝利を信じていた。 彼女にはいつも、希望が見えていたのだ。 だが、今は――。 「あなたも瞬も辛いだけだと思うの。今はまだ発熱や倦怠感くらいの症状しか出ていないけど、そのうちに、白血病細胞が脳髄膜に浸潤すれば、激しい痛みや出血等の症状が現れてくるわ。薬物療法の副作用も出てくるでしょう。苦しんで苦しんで……瞬が苦しむだけ苦しんで死んでいくのを、あなたは見ていられて?」 「可能性はないのか、瞬が助かる可能性は……!」 「――奇跡でも起きない限り……」 奇跡。 これまで、幾度となく、俺たちの上に訪れた奇跡。 しかし、それは、本当は奇跡でも何でもなかった。 俺たちは、人が奇跡と呼ぶ事態を呼び寄せる術を知っていたんだ。 人を傷付けるのはいやだと繰り返す瞬に、強いられてきた闘い。 その瞬に、今また、今度は病と闘えと、いったい誰が言うのだろう。 これまでの闘いとは違う、希望のない、呼び寄せる術を知らない奇跡を待つだけの闘いを――。 「瞬は――」 「瞬にはまだ告げていないの。私もどう告げればいいのか、わからなくて……」 そんなことは、俺にもわからない。 「一輝は――これから瞬がどうするのかは、瞬が決めることだと言って、どこかに姿を消してしまったし……」 実に一輝らしい振舞いを知らされて、俺は苦く薄く笑った。 一輝は、自分の弟を信じている。 瞬が、決して間違った道を選ぶことはないだろう――と。 奴の判断は、多分、正しいのだろう。 結局は、全てを決めるのは瞬自身で、瞬は決して後悔しない道を選ぶに決まっている。 少なくとも、自分の選択の結果がどうあれ、瞬は泣き言など口にはすまい。 誰が考えても正論としか言いようのないセリフを吐いて、そんな自分に苛立ち、弟と仲間たちの前から姿を消した一輝の苛立ちと腹立たしさが、俺には手にとるようにわかった。 奴も、本当は俺と同じように、瞬ほどには強くないのだ。 |