バビロニア帝国の首都・バビロンは、その隆盛と享楽ぶりをイスラエル人が嘆きつつ驚嘆しただけあって、実に活気に満ち、それでいてどこか頽廃的な雰囲気の町だった。

町の入口にある名高いイシュタルの門、その門に続くレンガ造りの高い建物は、五百年後のローマ帝国もかくやといわんばかりに壮麗である。

通りには人が溢れていた。
渋谷のセンター街と大して変わらない。
センター街と違うのは、胸も露わな薄い衣装をまとった、一目で街娼と分かるおねーさんたちがそこここに立っているところで、そこだけ深夜の大久保駅周辺の雰囲気だった。

しかし、今は昼間である。

(バビロニア人ってのは、なに考えてやがるんだ、いったい!)

瞬への教育的配慮から、氷河は、なるべくおねーさん方が瞬の目に入らないように努めたのだが、その努力はあまり効を奏しなかった。
氷河自身が目立ちすぎていたせいで、である。


バビロニア――今で言うイラク周辺――には、金髪の人間はほとんど見あたらない。
氷河の髪と二十世紀の服装は、それだけで充分人目を引くものだった。

氷河を認めた街のおねーさんたちは、やたらと馴れ馴れしく氷河を呼び止め、
「遊んでいかない? 珍しい色の髪ねぇ」
「どこから来たの? バビロンの女は、いい男にはみんな親切だよ。あんたくらい綺麗な男だったら、タダで一晩面倒見たげるよ」
と、口々に声を掛けてくるのである。

「――遊んでく? 氷河」
瞬にまでそう言われて、氷河は挫けそうになった。
それから、『遊ぶ』の意味を、瞬が正しく理解してそんなことを言っているのかどうかを、氷河はひとしきり悩んでしまったのである。

「し……しかし、なんで言葉が分かるんだ。バビロニア語だろ、あいつらが話してるのは」
なんとか立ち直って疑念を口にした氷河を、瞬が軽く一蹴する。

「氷河。十二宮戦やアスガルド戦の時、僕たちが何語話してたか憶えてる?」
「…………」

氷河は言葉に詰まった。
そして、この件に関しては触れない方がよさそうだと判断する。
ギリシャ語だろうがバビロニア語だろうが通じればいいのであって、何故通じるのかを考えることには意味のない世界なのだ、聖闘士星矢の世界は。

ともかく、何故通じてしまうのかは分からないが、何故か言葉の通じてしまうバビロンの都で、瞬たちは、ネブカドネザル王が王宮の広場にかつてないほど巨大な庭を造るために建築家や工匠を集めているという情報と、まもなく国民に夫役が課せられるだろうという噂を手に入れることができたのである。


その噂を聞いて顔を曇らせる瞬を見て、氷河は黙っていられなかった。
ネブカドネザルだかハンムラビだかは知らないが、瞬を悲しませる者など許せるわけがない。

氷河は町の東の丘にそびえて建つ王宮を睨みつけ、そして言った。
「これから王宮に乗り込んでいって諫言してやろう。王妃を喜ばせるためなら、他の方法を考えろってな」
「え?」

思ってもいなかった氷河の提案に、瞬は目を剥いた。
王宮を訪ねたところで王にすんなり会えるとも思えないし、万一王に会えて、王がその提案を受け入れ架空庭園を造る計画を中止してしまったら、歴史が変わってしまうではないか。

「氷河…! そんなことできるわけないよ!」
「やってみなきゃ分からん」
「歴史が変わっちゃうじゃない」
「おまえが泣くより、歴史が変わる方がいい」

「…………」
あっさり言い切る氷河に、瞬が絶句する。

その間に、氷河は、王宮に向かう道を一人駆けだしていた。






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