王のお出ましに気付くと、さすがの黒山が一斉に地べたにひれ伏した。 その場に立っているのは、瞬と、瞬を黒山の中から救いだそうとしていた氷河と、王と王妃だけだった。 「何事だ、いったい」 誰にともなく尋ねてきた王は、氷河たちが思っていたよりずっと若い。 三十にもなっていないように見えた。 「は、実は…」 広場にできていた黒山の中で一番身分が高いと思われる壮年の男が、事情を説明しかける。 王とじかに接するチャンスはこれが最後かもしれない。 千載一遇のこの機会を逃してなるかと、氷河はその男を押しのけて、ネブカドネザル王の前に立った。 そして、言った。 「俺の非力な連れを怪力の持ち主と誤解して、こいつらが馬鹿みたいに騒いでいただけだ。瞬は、王宮見物がしたいっていうんで、俺のおまけにくっついてきただけで、瞬より俺の方が仕事はできる。貴様はこれから国民に夫役を課して人夫を徴用するつもりらしいが、その必要はない。俺ひとりで一万人分くらいの仕事はできるからな」 早口でまくしたてながら、氷河は瞬を自分の背後に隠した。 「氷河…!」 氷河の言葉に驚いて瞬は目を見張ったが、それ以上に驚いたのは王と王妃だった。 「一万人分だと?」 にわかには信じ難いという表情のネブカドネザル王の前で、氷河は手近にあった花崗岩の塊りを人指し指一本で粉々に砕いてみせた。 驚愕と共に氷河の豪語の訳を理解したネブカドネザルは、 「これは王妃を思う私の心に打たれて、エンリル神がお遣わしくださった神の使いに違いない」 と一人で納得し、横にいた王妃を見やった。 尋常でない氷河の力に目を見張っていた王妃が、夫の視線に気付くと、ついと横を向く。 王も若いが、それに輪をかけて王妃も若い。 おそらく、まだ二十歳にもなっていないだろう。 サテンのような布でできた細いシルエットの長衣をまとっている王妃は、それなりに整った造作をしていた。 してはいたが。 少なくとも国民の犠牲を省みず、歴史に残るような庭園を造ってやるほどの美しさは持っていない――と、氷河は思った。 (瞬より五割――いや、六割方落ちる。そんな大層な女じゃないじゃないか。どこがいいんだ、こんなのの…) 内心で毒づいてから、氷河はすぐに自省した。 瞬に比べるのはあまりに気の毒というものだし、自分が瞬に惹かれているのも、決して瞬の外見のせいではないのだから、瞬より六割方落ちるこの王妃にも何か別の魅力があるのだろうと、彼は思うことにしたのである。 ネブカドネザル二世といえば、バビロニア帝国歴代の王の中でも最も有名な英主、大王の名を冠せられるほどの人物である。 人を見る目は秀でているだろう。 その王に、これほどの愚挙を為さしめるほどの女が、ただの馬鹿なブスであっていいはずがないのだ。 「そちらの娘、変わった恰好をしているが、随分愛くるしい顔をしている。王陛下。その娘、私の話し相手に貸してくだされ。その娘の亭主の仕事が終わるまでで結構じゃ」 自分の判断は正しかったと、氷河はその時に思った。 自分を瞬の亭主と判断するあたり、なかなか見る目があるではないか――と。 彼女が瞬を“娘”と見誤ったことなど、氷河には、この際取るに足りない誤りだった。 それに、王妃の申し出は氷河にとっても好都合だったのである。 放っておけば、瞬は氷河の庭造りを手伝うと言いだしかねなかったし、下手に王の側に召し上げられて、王にちょっかいを出されても困る。 王妃の側に置けば、瞬を土木建築業に従事させずに済み、変な男に目をつけられることもないだろう。 瞬の衣食住の心配もせずに済むし、氷河は、後顧の憂いなく土方さんをできるというものなのである。 「氷河…。僕のためなら、そんな無理しないでよ…」 心配そうに訴える瞬に片頬で微笑ってみせてから、氷河は庭の設計者に向き直った。 |