「おい、氷河。楡の樹をすっ転ばしておいて、おまえ、朝っぱらから何をしてるんだ」 「瞬。私の苦衷を知っておるくせに、自分だけ亭主に可愛がってもらおうなどとは、どういう了見じゃ」 突然瞬と氷河のラブシーンに割り込んできたのは、バビロニア帝国の王と王妃だった。 二人とも、明白に機嫌が悪い。 おそらくは、嫉妬のために。 しかし、その時その場で最も激しい怒りに支配されていたのは、無論のこと、氷河その人だった。 「てっ…てめーら、何しにきたっっ!!」 「おまえが怠けていないかどうか見張りに来たのだ。案の定、怠けていたな」 「上等の部屋と上等の食事を与え、召使いを何人も付けてやったのというのに、それよりも亭主との土いじりの方を選ぶとは、なんという羨ましい奴じゃ。いっそ、くびり殺してやろうかの」 「そ…そんな…」 八割方マジなのではないかという王妃の目つきに、瞬が怯えた顔になる。 氷河は瞬を背後に庇い、このとんでもなく自分勝手な王夫妻を睨みつけた。 「なに、勝手なこと言ってやがるっ! 俺はなっ! 俺は初めて瞬に会った時から今までずっと片思いで、瞬に打ち明けようとするたび必ず、瞬が怒るか、瞬の兄貴に嫌味を言われるか、星矢の蹴ったサッカーボールが飛んでくるか、紫龍が馬鹿な騒動を起こすか、アテナがヒステリーを起こすか、敵が攻めてくるかして、告白できずにきたんだぞ、六年間っ! やっと…やっと、初めてキスができそうだったのに邪魔しやがってっっ!!」 怒りにまかせて怒鳴り散らす氷河を、ネブカドネザル王があっけにとられて見詰め返す。 王妃は、氷河の訴えに哀れをもよおしたのか、気の毒そうに眉根を寄せていた。 「なにやら哀れな男じゃの。瞬、そなた、亭主に接吻も許さずにおったのか? 頑なな女は嫌われるぞ?」 そんなセリフを、王妃にだけは言われたくないというのが瞬の本音だったのだが、瞬は反駁をぐっとこらえた。 この王夫妻のぎこちなさを解消し、二人をしっくり慈しみ合う幸福な夫婦にしてしまえば、この先、ネブカドネザル王も愛情深い君主として国を治めてくれるに違いない――と瞬は思ったのである。 瞬は、深く反省した振りをして、王妃に向かって頷いた。 「すみません…。実は僕、兄が賭け事で作った借金のカタに、氷河のところに売られてきたようなものだったので、今まで意地を張っていたんです。ほんとは氷河のこと大好きだったんですけど、氷河はどうせ僕のこと、借金の担保くらいにしか思ってないだろうって決めつけて…。でも、王妃様を見ていて、考えが変わりました。王妃様も政略結婚で王様のところに連れてこられたのに、僕みたいに頑なにならず王様のこと心から慕ってるし、王様は王妃様を慰めるために心を砕いてらっしゃるし……。大事なのは、どんな経緯で出会ったかじゃなく、自分の気持ちが誰に向いてるかですよね」 瞬の馬鹿げた作り話に、氷河は頭を抱えてしまった。 王と王妃の仲を取り持とうという瞬の意図は分からないでもないが、設定が大時代的すぎる。 「そうじゃ、そうじゃ。私などむしろ、見知らぬ国に輿入れさせてくれた父君に感謝しておる。故国にいたのでは、陛下のように立派な夫は持てなんだろうからの」 元メディアの王女は、しかし、瞬の話の陳腐さに不自然さを感じた様子は見せなかった。 つい昨日まで片意地を張って夫につれなくしていたことなどすっかり忘れたように、威張って瞬を諭す。 しかし、昨日までのことを忘れてしまっているのは王妃だけではなかった。 ネブカドネザル王が、熱愛する妻の言葉に感動して瞳を輝かせている。 男というものはなかなかに情けないものだと、氷河はつくづく思った。 「お…王妃。せっかく瞬が氷河に唇を許す気になったところを邪魔するのは無粋というものだ。我等は氷河たちの邪魔をせぬよう王宮に戻って、我等だけで愛を確かめ合うことにしよう」 「陛下。今さら確かめ合うまでもなく、私の愛はすべて陛下のものじゃ」 「いや、そういうことはやはり、毎日確かめ合わねばな」 「信じていただけぬとあらば、私はどんな手を使ってでも信じさせてみせますぞ。陛下のお望みのままじゃ」 「それは楽しみ…。――おい、氷河。おまえ、庭造りはもう適当に切り上げて、そこいらで好きなだけ瞬といちゃついているがいい。王が許す。庭造りの仕上げは庭師たちに任せておけばいい」 「…………」 ありがたい言葉だったが、王が氷河たちのことなどもうどうでもいいと思っているのは明白だった。 が、それは氷河も同様だったので、彼は王に文句を言う気にはならなかった。 瞬に向きなおり、再び瞬を引き寄せる。 今度こそ、ついについにやっとその時がきたのだ! と氷河が胸を打ち震わせた時。 突然、激しい重力が二人にのしかかってきたのである。 |