「ここを出てくってどーゆーことだよ!」

部屋を出て、階下に下りて行くと、ラウンジから星矢の声がした。
半月は聖域に行っていると言っていたはずの星矢がどうしてここにいるのかと怪訝に思い、僕はラウンジのドアを開けるのを途中でやめた。



「おまえらを二人きりにしてやるために、俺と紫龍だけならまだしも、沙織さんまでホテル住まいをしてるんだぞ。わかってんのか? 俺たちにこれだけ気を遣わせておいて、瞬を諦めるだぁ !? 」

「人を失語症だの記憶喪失症だのに仕立てあげてくれた貴様等の親切には感謝している」

氷河の声には皮肉の色があった。
記憶喪失症に仕立て上げた――とは、いったいどういうことなんだろう?


「なんだよ、そんなこと根に持ってんのか? ああでも言わなきゃ、初対面の人間がおまえの無口と無愛想をどう思うと思ってんだ!」

「初対面、か……」

氷河は記憶を失っていたわけではなかったんだろうか?
でも、だとしたら、あの不安そうな目はいったいどうしてだったんだ?


「俺がここにいても無意味だ」
「無意味ってどういうことだよ」
「瞬にとって、俺はもう要らない存在になってしまったんだ」
「なに、馬鹿なこと言ってんだよ! 瞬はずっと待ってるじゃないか! おまえが戻ってくるのを、瞬はずっと待ってる!」

「瞬が待っているのは俺じゃない。瞬に、今の俺は無用のものらしい」

僕が――誰を待ってるって?
氷河を?
どうして、僕の待ってる人が氷河なんだ?


「……しかし、ここを出て、どこへ行く気だ。シベリアか?」
星矢だけでなく、紫龍も聖域にはいないらしい。

「どこかでのたれ死ぬのもいいな」
「氷河、やけになるなよ」


いなくなる?
氷河が、ここを出ていく?
僕は、彼の言葉にひどいショックを受けた。

星矢や紫龍が日本にいることや、氷河の記憶喪失が嘘だったらしいことや、そんなことは大したことではなかった。

氷河は、確かに僕が生きていくのに必要な人じゃない。
つい1週間前に出会ったばかりの、ほとんど“見知らぬ人”だ。

でも。
氷河の姿が僕の前から消えてしまったら――また、いつ来てくれるのかもわからないあの人を待つだけの生活に戻ったら――。

僕は、自分で想像したものの寂寥感と虚無の光景にぞっとした。






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