人は――そんなにも苦しみを恐れるものだろうか。 そんなにも楽をして生きていきたいものなんだろうか。 昇華、抑圧、代償――人に、そんな防衛機制があることは知ってる。 でも、僕が――僕は、そんなところに逃げ込んでまで楽に生きたいと願う人間だったんだろうか。 わからないけど――大切な人を失って──失ったと思い込み──、失ったことを忘れてまで生きようとした僕が、代わりに、この人との幸せな記憶まで失ってしまったことだけは事実なんだろう。 「ごめんなさい……ごめんなさい、僕……」 「いいさ、おまえはおまえなりに生きるために必死だったんだろう。泣き暮らしたり 絶望されたりするよりは――。そうだな、その方が俺も嬉しい。安心できる」 僕自身にも止められない涙を、氷河は、その指で拭いとってくれた。 傲慢だと思い、我儘だと思っていた人が、本当は誰よりも自分を抑えて僕に接してくれていたことを、僕は今更ながらに思い知った。 そうかもしれない。 氷河の言う通りなのかもしれない。 それでも、僕は忘れるべきじゃなかった。 受け入れて、耐えて、その上で生きていくべきだった。 それが氷河の本当の望みだったろうに――そんな僕を氷河は許してくれると言う。 「ごめんなさい……」 僕はもう謝ることしかできなくて、泣くことしかできなくて、でも、これだけはわかっていた。 「思い出せないの。でも、僕はもう誰かを待つ必要はないんだってことだけはわかるの」 氷河の声と瞳は、僕に優しく微笑いかけてくれた。 「それだけわかっていれば、上等だ」 そう言って氷河が僕を抱きしめる。 僕を包む氷河の腕と胸は、懐かしい雪の匂いがした。 Fin.
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