その日、僕に相対した敵は、これまでのどんな敵よりも強かった。
僕は、でも、倒そうと思えば彼を倒すことはできたと思う。
実際に、僕は、立ち上がることが困難になる程度には、彼の戦闘力を奪うことができていた。

でも、どうしても命を奪うことができなくて――。

彼は、僕の足許で、呻いている。
苦しそうに。

この人にも大切な人がいるだろう。
仲間、家族、もしかしたら恋人。
悪い人でも、一人だけで生きていられるはずがない。

そう考えたら、僕は、それ以上、彼を傷付けることができなくなった。

彼はもう動けないような状態で、だから、僕は、そのままその場を立ち去ろうとした。
彼のこの後の運命を、多分、僕は、自分の手で、自分の意思で、決めてしまいたくなかったんだ。

彼は、その運命を、彼自身で決した。
渾身の力を振り絞って立ち上がり、彼は僕に最後の攻撃を試みたらしい。
油断して、無防備に敵に背中を見せていた僕は、かろうじて氷河に助けられた。


氷河は氷河で、激しい闘いを闘ってきたものらしい。
氷河は血みどろで、傷付き、疲労困憊しているようだった。

「氷河……」

助けてもらったのに、命を救われたのに、僕は、氷河の鬼気迫る姿と形相に怯え、怖れた。
単純に――恐かったんだ。


“敵”は、まだ生きていた。
彼は、低い呻き声を地面に向かって吐き出していた。

氷河が、僕に攻撃を仕掛けてきた相手に向かう。
でも、氷河の足はふらついていて、倒れている敵よりもずっと体力の消耗が激しいようだった。
ううん。
体力なんて、もう残っていなかったんだろう。
気力だけで、彼は立っているようだった。


「氷河……。ぼ……僕が……」
そんな氷河に、これ以上どんな力も使わせるわけにはいかない。
僕は、二度目の殺人を決意した。

けど――。

「俺に殺させろ」

――その氷河の声。
その氷河の声に、僕がどんなに恐怖したか!
ひどい矛盾だけど、氷河のこんな言葉を聞くくらいなら、人を殺してしまう方が余程辛くないのではないかと、思ったほどだった。

こんな――立っているのもやっとの状態で、それでも氷河は、自分の手で人を殺したいというんだろうか――。



氷河はその敵を、まるで哀れな昆虫を握りつぶすようにあっさりと――殺した。

僕は吐いてしまいそうだった。






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