氷河は、本当に狂っているに違いない――僕に優しくするということに。

このどしゃ降りの中、氷河は、馬鹿な僕を追いかけてきてくれた。
綺麗な金色の髪と綺麗な青い瞳を、惜しげもなく雨に濡らして。

僕は、城戸邸の庭を抜ける前に、氷河の手に捕まった。

でも、だから、僕にどうしろと?
謝って済むようなことじゃないから、僕は氷河に謝ることもできない。

僕は、氷河を、雨と涙とでぐしゃぐしゃになってしまった顔で、見上げた。


「すまない」

謝ってきたのは、氷河の方だった。
なんで、氷河が謝るんだろう。

「謝らないでよっ! どうして氷河が謝るの!」

本当に、どうして氷河が謝るんだろう。
誰もが傷付け合うことなく生きていける世界――そんな自分の夢を守るために、信じているために、僕は氷河を傷付けて、傷付けて――傷付けてきたのに……。

「おまえは悪くない。俺が勝手にしたことだ。おまえに負担をかけるつもりは――おまえに知らせるつもりは……」

――なかったんだろう。
そして、ずっと、僕に知らせないまま、気付かせてくれないまま、一人で苦しむつもりだったんだ。

氷河の目。
哀しそうな氷河の目。

氷河は、いつも、何を悲しんで、あんな目をしていたんだろう。
人を傷付けるのは嫌いだと言い張って、氷河を傷付けるようなことばかりしている僕か、
そんな僕のために人を殺し続ける自分自身か、
あるいは、彼が殺してしまった多くの敵、
それとも、誰かを傷付けずには生きていけない人間という存在そのものを、なのか――。


「僕は……僕は間違っていたの? 僕が間違ってたの !? 」

氷河になら、わかるのだろうか。
僕が、いったい、何を間違えてしまったのか。

「……いや」

まるで責めるように声を荒げて尋ねた僕に、氷河は静かに横に首を振ってみせた。
もう、優しくするのはやめてほしいのに!

「だったら、どうして、僕はこんなに氷河を傷付けたの!」
「傷付いていない」
「嘘だよっ!」
「傷付いていない」

僕の声は、激しい雨音よりも甲走っていた。
氷河の声は低く抑揚がなく、でも雨の音には打ち消されない。

「俺は……そう、おまえに、おまえの夢を捨てないでいてほしかった。敵をも愛せる日――いつかは、誰もが誰もを傷付けることなく生きていける日がくると、おまえにだけは信じていてほしかったんだ。おまえが信じていてくれる限り、俺もその夢を信じていられるから」

氷河の目。
あんなに恐ろしく感じていた氷河の瞳は、今は暖かく優しいばかりだった。
この目を肉食獣のそれのようにしていたのは、彼自身ではなく、彼の前に現れる敵でもなく、他の誰でもない、この僕だったんだ。

「そんなこと言ったって……そんなこと言ったって、もう無理だよ! 僕は、氷河をこんなに傷付けた。馬鹿みたいに夢を信じていられた時になんて、もう戻れない! 僕はこんなにこんなに氷河を傷付けた!」

そんなつもりはなかったのに。
きっと、人は結局傷付け合うことしかできないようにできているんだ。

「こんなに、氷河を傷付けたのに……」

僕には、氷河にそんなにしてもらう価値もなかったのに、僕は、僕を氷河に提供することで、氷河の心を癒せるかもしれないなんて、傲慢なことまで考えてた。

そんな僕をすら許せるというのなら、そんな僕にも優しくしてくれるというのなら、氷河は本当に――馬鹿だよ。






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