「戻る必要はない」

氷河は、変わらず低い静かな声で、そう言った。
こんなに激しい雨音の中で、どうして氷河の静かな声が、こんなにもはっきりと耳に届いてくるんだろう。

「……捨てないでいてくれさえすれば……おまえが、お前の夢や理想を捨てないでいてくれさえすれば――おまえが信じているものを、俺も信じていられる」

青い雨が、氷河の目に映っている。
氷河の瞳の色は深い。

本当は、僕よりもずっと大人で、ずっと先を歩いていた氷河が、きっと、ひたむきだから――その声と眼差しは、まっすぐに僕の五感と心とを刺すんだろう。


「俺のしたことで、おまえの夢が壊れたなら、また最初から組み立ててくれ。その方がずっと――敵を倒すことよりずっと難しいことだと思う」

「でも、そんなこと、もう……」

僕は、僕の無力を知った。
自分の愚かさと無知を知った。
そんなこと、もうできるはずがない。
そんな力は、僕にはもうないよ。

僕は、雨に打たれて、そのまま、何かを感じる心のない石ころにでもなってしまいたい気分だった。
でも、雨はそんな魔法を僕にかけてはくれなくて、僕は力なく項垂れることしかできない。


悄然としている僕に、突然、雨の音よりも激しい叱咤が降ってきた。
「無理だと言って諦めるなら、俺は今までいったい何のために、おまえの敵を倒してきたんだ !? 俺はそんな情けない奴のために、何人も何十人もの敵を倒してきたというのかっ !? 」

聞き分けのない子供のように、いつまでもぐずぐずと萎れている僕に、氷河は業を煮やしてしまったらしい。
それまで、かけらほどにも僕を責める気配を見せず、優しいばかりだった氷河の突然の豹変に怯えて、僕は、びくりと身体を震わせた。

「ひょう……が、だって、僕……」

なんだか、本当に、本当の子供に戻って親に悪戯を叱られているみたいな気分になって、僕の目には、じわりと涙が滲んできた。

そんな僕を、氷河が強く抱きしめる。

「駄目だ、そんなのは。いくらでも倒してやる! 何人でも殺してやる! おまえが、俺の夢を守っていてくれるのなら……!」

痛いほどにきつく僕を抱きしめる氷河の腕と胸は、ずっと冷たい雨に打たれていたとは思えないほどに熱かった。
まるで、僕がそのまま崩れ落ちてしまったら、氷河自身の命も終わってしまうとでもいうかのように、僕の命と氷河の命とを一緒に抱きしめ守ろうとしているかのように、氷河の腕と声と、そして、おそらくは彼の全てが、必死の思いで、僕に訴えてくる。

「駄目だ、夢を捨ててしまったおまえはおまえじゃない。俺は、そんなおまえを見たくない……!」

「氷河……」


――氷河の腕の中で、僕は悟った。

僕は甘えられないんだ。
ここで甘えたら、甘えて夢を捨ててしまったら、氷河が僕のためにしてくれたこと全てが無意味だったことになる。






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