「私の方が――恵まれて、幸せでなければならないんだ」

「え?」

シャーレが収められている冷凍庫の蓋を閉じ、彼は独り言のように呟いた。
怪訝に思って顔をあげた瞬に、不比等が、氷河と同じ顔で――顔だけが同じ冷笑を瞬に向けてくる。

「DNAは、人間の肉体的要素だけでなく、性格や行動性向も決定づける。DNAが同じだと好むタイプも似るんだよ。知ってるか?」
「……?」
「DNAには愛情を支配する力さえある」

「何が言いたいんですか」
彼の周囲に強い──暗い──意思の力を感じて、瞬は無意識のうちに僅かに後ずさった。

「氷河が君を愛するなら、当然、君は私の好むタイプだということだ」
「人はそこまでDNAに支配されてなんか──」

そんなことがあるはずがない。
生まれたばかりの人間は、ただ存在し愛されることしか知らないはずである。
周囲の人間に愛されることによって、愛するという行為とその意味を覚えていくのが人間というものではないか。

瞬はそうだった。
おそらく、氷河もそうだったに違いない。

だが、今、瞬の目の前にいる男はそうではなかった──のだろうか。

もしそうだったのなら痛ましいことだ──と、瞬は、自分に近寄ってくる男の顔を見上げた。
が、その瞳の奥に、まるで狂信の徒のような鈍い光を見い出して、今はそんな同情に酔っている場合ではないことを思い出す。

「氷河を幸せにしたように、私も幸せにしてくれ」
「ちょ……」

氷河と同じものでできているという腕が、瞬を捉えようとして不気味にのびてくる。

「私を愛してくれ。私を私として認めてくれ」
「こ……こっち、来ないで……!」
「瞬……」

瞬には、彼の考えてることがわからなかった。
そもそも彼は、その登場からして突然すぎた。
実のところ、瞬は、氷河と同じ姿形を持った別の人間がこの世に存在するということ自体を、まだ現実味を帯びて実感できていなかった。
その、瞬にとっては実体のない幻のような男が、瞬が氷河に与えているものを、自分にも分けてくれと要求してくる。

彼は、瞬にとっては、見知らぬ他人でしかないというのに。

「馬鹿なことはやめてください。僕は聖闘士なんですよ! その気になったら、あなたなんて1秒もかけずに──」

「私を愛してくれ」

その言葉を、瞬はどこかで聞いたことがあった。






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