不比等が姿を消してからひと月ほどが経ったある日、城戸邸で青銅聖闘士たちが共有しているパソコンに、彼からメールが届いた。

彼がどうやってそのアドレスを知ったのかも、そのメールがどこから送信されたものなのかもわからなかった。

タイトルは『私のオリジナルへ』。
メールには開封用のパスワードが設定されていたが、氷河が幾つかのパスワードの入力を試みた後、それは『SHUN』という簡単なパスワードで開封された。




最初に、詫びておく。
私は、年齢詐称をしていた。
私は、氷河より8ヶ月遅れて、この世に生まれ落ちた。



オリジナルとコピーの立場を転移させる告白で、そのメールは始まっていた。



人間は──自分という存在がこの世にただ一人きりだと思えることで、たとえどんな欠点を抱えていても、誇りをもって生きていけるものなのではないだろうか。
選び抜かれた遺伝子から生成され、卓越した才能、優れた容姿を持っていても、同じものがいくつも存在したら、その存在の価値が低減するのは自明の理だ。

私はクローニングを嫌悪していた。
受精卵の段階で、遺伝病の可能性や障害を得る可能性が排除された人間は、そうでなかった人間に比べれば不安のない人生を送ることができるかもしれない。
だが、それが実りあるものになるという保証はどこにもない。
幸せになれるという保証もどこにもない。

だが、その価値の程がどうであろうと、クローンもまた一個の人格を持った人間であることに変わりはない(と私は思いたい)。


私は、自分がクローンだと知った時、自分のオリジナルより幸福でありたいと思った。
それは、自分以外の何者かのコピーとして存在する私の意地のようなものだったかもしれない。
あるいは、自尊心だったのかもしれない。

私は、私のオリジナルの境遇を調べさせた。
その報告を受けた時には、自分の方が恵まれているとも思った。

私には権力がある。
与えられた才能を生かし、多くの人間の生殺与奪の決定権を持っている。
対して、私のオリジナルは、何の肩書きも力もない、社会的には存在してもしなくてもいいような立場にあった。

私は、私のオリジナルの許を訪ねた。
私よりずっと不幸でみじめなはずの私のオリジナルに会って、私は私の存在意義を確信したかったんだ。


だが、私のオリジナルは、私より幸せそうに見えた。
彼には、仲間がいて、瞬がいた。


私は、オリジナルを越えなければならないと思った。
でなければ、私が存在する意味がない。
クローンが存在する意味がないではないか。

そして、私というコピーが、氷河というオリジナルを越えるには──瞬が必要だと思ったんだ。
瞬には、申し訳ないことをした。
その件に関しては謝罪する。
私は、瞬を怖がらせるつもりも、怒らせるつもりもなかった。




『氷河』と同じ遺伝子を持つ受精卵は、グラードのゲノムラボに数多く保管されていた。

事実上財団を動かしている私が怪我や病気をした際に、代わりの部品を提供するためという名目で。
だが、それは腎臓や手にもなり得るが、私そのもの、『氷河』そのものにもなり得るものたちだ。


私は、それらをすべて消滅させた。
これは殺人だろうか。

私にはわからない。

私にわかることは、氷河という遺伝子を持つ存在が幸福になるためには、瞬という存在が必要で、そして、瞬はこの世に一人きりしか存在しないということだけだ。

一人きり、だ。

──この世に唯一無二のものとして在ること。
私以外の誰もが当然のことのように享受しているその事実に、私がどれほど憧れていたか、わかるだろうか。
それは、本当に素晴らしいことだ。

どんなに醜くても、どんなに愚かでも、たとえどんな障害を抱えていたとしても、自分がこの世に唯一無二のものだと信じていられる喜び。
だが、その事実の素晴らしさを、私以外の人間は知りもしないのだ。
知らずに、不平ばかり零している。

私が私より劣る者たちを、『この世にただ一つの存在』だというだけで、どれほど羨み続けたか!
そして、どんなに憎んだことか。


が、今更、そんなことを言っても詮無いことだろう。
現実に、私は、こういうものとして、この世に生を受けてしまったのだから。


とりあえず、私はグラードを離れる
私ほどの才能があれば、どこででも、何をしてでも生きてはいけるだろう。

私を唯一無二のものだと認めてくれる誰かを──私の瞬を──探してみようと思う。


馬鹿な騒ぎを起こして、済まなかった。







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