そして、もちろん、それは的中する。 「インディオたちに、嘘をつくことを教えてあげたら、その後のインディオたちの悲惨な歴史はなくなるかなぁ……って思ったんだ」 内心で冷や汗をかきまくりながら、氷河は努めてさりげなさを装い、言下に瞬の“望み”を却下した。 「スペイン人に征服されかけているアメリカ大陸に行くなんて、危険極まりないことだ」 仮にも聖闘士の言うべきこととは思われなかったが、敵に襲われても傷付けることのできない闘いほど、闘いにくい闘いもない。 特に瞬は、切れると手加減を忘れてしまうという、よくない性癖の持ち主なのである。 が、瞬も一応、そんな荒っぽいことまでは考えていなかったらしい。 「そんなことはしないよ。もっと平和な――コロンブスがアメリカ大陸に到達するよりずっと前のメキシコに行って、教えといてあげるのはどうかな……って思うんだ。自分や自分の同胞たちの身を守るための嘘は仕方ないよって。嘘って、時には、思い遣りの結果だったりすることもあるじゃない。一概に悪いことだとは言えないと思うんだよね」 それはその通りである。 氷河が、とっとと瞬を押し倒してしまいたい気持ちを押し殺して、自分を偽っているのは、正直に告げることが瞬を困らせることに繋がるとわかっているからだった。 「さて、それはどうかな。俺たちは今まで、あのマッドサイエンティストの馬鹿げた機械で過去に行って、本来してはならんことをあれこれしてきたが、いざ現代に帰ってきてみると、歴史は何も変わっていなかった。おそらく歴史には、本来通るべき道があって、何か別の力が加わると、歴史それ自体の修復機能が働くようにできているんだ」 婉曲的に、氷河は、瞬の試みは徒労に終わるだろうと告げた。 が、瞬は素直に氷河の忠告を聞き入れない。 それほど、『メキシコ征服記』に記されているアステカの悲劇は、瞬には受け入れ難いものだったらしかった。 「でも……もし、それがうまくいったら、何百万人ものインディオたちの命が失われずに済むのかもしれないよ」 「駄目だ。たとえそうすることができるんだとしても、アステカの次は、どこだ? インカか? ナポレオンに戦いをやめさせるのか? それとも、太平洋戦争を止めるか? 原爆の発明の邪魔をするか?」 瞬の身を案じる氷河の口調が、少しばかりきつくなる。 瞬は口をつぐんでしまった。 「たとえアインシュタインを説得できても、多分、歴史の修復機能は、別の誰かに原爆の原理を発見させるだろう」 「…………」 瞬にもわかっているのである。 過去は変えられない。 瞬が倒した者たちの命を取り戻すことはできない。 現在に生きている人間に変えることができるのは、ただ未来だけなのだ。 「ごめんなさい……」 「おまえの気持ちはわかるが──」 「ごめんなさい」 瞬がしょんぼりして、自分の誤りを謝罪する。 瞬をそんな気持ちにさせるために、氷河はそんな忠告を口にしたわけではなかったのである。 心ならずも瞬を落胆させてしまった自身の言葉を、氷河は後悔した。 「いや……俺も言いすぎた」 気まずさを、意味のない笑いの中に押し隠し、氷河は瞬に気付かれないように、小さく吐息したのである。 (欲求不満か、俺は……) 自分を偽らずに生きていくことが許されるというのなら、氷河は、自分こそがアステカの民になってしまいたい気分だった。 |