瞬が初めて氷河と身体を交えた時、彼は瞬が一度も自分の名を呼んでくれなかったのが不満だったらしい。
名を、なぜ呼んでくれないのかと、彼は瞬に問うてきた。
瞬が、ドイツ語の名は呼びにくいと答えると、彼は、笑いながら、それなら呼びやすい日本語の名をつけてくれと瞬に言ってきたのである。

瞬は、その日、皇后の生家ヴィッテルバッハ公爵家の使いの従者からつれづれに、スイスのケーニヒスゼーに伝わる俗謡を聞かされたばかりだった。
その中に、青い氷河というフレーズがあったのである。


schmolz das blaue Gletscher‐Eis,
daβ als breiter Wasserfall
tosend stuerzt ins gruene Tal ──


    青い水河も水と溶け
    融けて流れて滝となり
    緑の谷間にそそぎ落つ──



『氷河──』


瞬が口にした彼の新しい名前の意味と由来を、彼は根堀り葉堀り瞬に問い質し、そして、彼はその名を気に入ったらしい。

彼は、笑いながら、
『滅多に融けないんだぞ、俺は』
と言って、瞬の肩に唇を押しつけてきた。


氷河と言葉を交わすようになる以前、瞬は彼にあまりいい印象を抱いてはいなかった。
時に恐ろしいほど冷たく感じられる彼の眼差しが、むしろ嫌いだった。
少なくとも彼は、帝国の皇帝を敬愛して、その警護に当たっているのではないと、瞬には思えたのである。

だが、実際に言葉を交わす機会を得た時、瞬の前で、彼の氷のような青い瞳は空の色に変わった。
怜悧な印象の強かった軍人は、しかも意外に陽気で剽軽な部分を併せ持っていた。
瞬は、やがて彼と気軽に軽口を交わすようになり――真顔で彼に『愛している』と告げられた時には、瞬は、それを、いつもの冗談だとさえ思ったのである。

それが──






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