「まあ、何だな。武士の恋は、やはりこうでなくては」

主君の許可を得ていない脱藩者は、死罪を申し渡されても文句の言えないところである。
しかし、翌日、城中の座敷に氷河と瞬を引き出した水瓶藩藩主は、目をかけていた家臣と目をつけていた小姓に逃亡を謀られたというのに、極めて明るい表情を二人に向けてきた。

「初めて登城した時の瞬を見詰めるその方の顔を見ていたら、その気がない私にも、すぐピンときた」
「…………」

では、上総介は最初から氷河の気持ちを見抜いていて、その上で、あの残酷な主命を下したということになる。
誇れるほどの家柄も血もない下侍を引き立ててくれた主君を裏切ったことへの負い目が、上総介のその言葉を聞いた途端に、氷河の中から消えていった。

「忠義のほどを試したとおっしゃるか。なら、私は殿の期待を裏切った。好きに成敗なさるがいい。もっとも、私が瞬と逃亡を企てたのは、瞬と共に出奔すれば、いずれ瞬の父であるご家老の執り成しが期待できると考えただけで、瞬には何の咎も──」
もう、この男を主君とは思えない。
だが、瞬の命だけは救わなければならない。
人の心の何たるかを知らない無慈悲な主君への怒りより、今は、瞬の命の方が大事だった。

罪を我が身ひとつに収めるために、わざと反抗的な口調で主君に毒づき始めた氷河の言葉を、瞬が横から遮ってくる。
「違います! 僕が、氷河をそそのかしたんです。氷河は僕の我儘に押し切らてしまっただけなんです!」

「いや、だから、そう先走るなと言うに。せっかちすぎるぞ、二人共」
互いを庇い合って咎の引き受け合戦を始めた二人を、困ったような顔をして、上総介はたしなめた。
下座に並んで控えている二人の家臣の前で、脇息に腕をのせる。
それから彼は、突然、話をあさっての方に飛ばした。

「江戸で、衆道が大流行りなのは知っているか」
「…………」

『知っているか』と問われれば、『知っている』と答えるしかない。
だが、氷河は、そんな流行に乗って、瞬との逐電を図ったのではなかったし、それ以前に、彼は、上総介とまともに言葉を交わしたくなかった。
だから、氷河は無言でいた。

「そのような者は、我が藩にはいないと言ったところ、他藩の藩主共に、無粋で野暮な流行遅れの藩と笑われてな。ふん、無能な輩が妬み僻みで言ったんだろうが、そこで引き下がっては、私の武士の面目が立たん。だから、私は、藩でいちばんの美形同士をくっつけて、我が藩を侮辱した馬鹿大名共に、おまえたちを見せびらかしてやろうと考えたんだ」

「な……」
得意げに言ってのける上総介の前で、氷河の思考は、暫時 完全に停止した。

「身分や家格より才覚第一と思おうとしながら、家格にひるんで、好いた相手に思いを打ち明けられずにいるらしい可愛い家臣のためにだな、一計を案じてやったのだ。主命とあらば、瞬の家の者も、おまえを軽輩と退けることはできまい?」
思考停止中の氷河に、上総介は、滔々とうとうと、彼の案じた“一計”を語り続ける。

「好いた者同士なら、話も早かろう。今日、登城してきたその方たちに種明かしをしてやろうと楽しみにしていたのに、主君に断りもなく駆け落ちとは、早まるにも程がある」
とはいえ、二人の駆け落ちは、彼の予測の内だったのだろう。
でなければ、真夜中の逐電がこれほどあっさり露見するはずがない。

「──殿の真意はともかく、私は、主命に背くという武士にあるまじきことを──」
命を懸けて悔いないほどに切なる恋心を弄ばれていたと知らされた氷河は、その時一瞬本気で死んだ方がましだと思った。
氷河の望みは、無論、上総介に笑顔で一蹴されてしまったが。

「俺は聡明で英邁な藩主で名を売っている。有能な家臣をこんなことで失うほど馬鹿ではない」
「しかし、私は士道にもとることを──」

「ふん。武士道とは死ぬことと見つけたり──と、佐賀鍋島藩の山本某が書いた『葉隠』とかいう書物が人気だそうだな」
それまで至極和やかだった表情を一変させ、上総介は、ふいに吐き出すような口調になった。






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