「死狂いの武士道……な。それが食えるものだったら、家臣領民のために大事にする気にもなるが……。道というものは、人を生かすためにあるべきものだろう。何でもかんでも死んで済ませようとは、私にはそれは卑怯者の考えとしか思えない。死など、いずれはあちらの方からやってくるものだ。自ら望むことはない」
“武士”から成る家臣団を従える水瓶藩藩主は、武士であることを捨てようとした氷河と瞬を交互に見やりながら、そう言った。

「私は、ここでおまえの命を助ける。おまえは感じ入って、更に私と藩のために励むようになるだろう。腹を切られて、血に濡れた畳を変える金を畳屋に払うより、どれだけ得なことか」

上総介の言葉は、『葉隠』の唱える武士道を、真っ向から否定するものだった。
合理的かつ経済的、ではある。

「武士道など、後生大事に守っている振りをして、裏で笑っていればいいのだ。生きていてこその忠義、生きていてこその恋であろう」

その考え方には、今は氷河は賛同したかった。
瞬と生きていたい──今となっては、そのことだけが、氷河の唯一の望みだったのだから。

「家老も文句は言えまい。へたに事を荒立てれば、自慢の息子を失いかねない」
しかし、である。
「どうだ。粋な主君であろう」
してやったりと言わんばかりに得意げに言ってのける上総介が、氷河は、どうにも不快でならなかったのである。

氷河は本当は、自分の恋心を弄ばれたことに文句の一つも言いたいところだったのだが、瞬が氷河にそれをさせてくれなかった。

「殿……! 何というお情け深いお取り計らい、感謝の念に耐えません……!」
自分が主君の“一計”のせいで切腹まで覚悟したことを、瞬はすっかり忘れてしまっているらしい。
瞬は、感極まったように瞳を潤ませ、彼の主君に平伏した。

上総介はというと、まるで大岡裁きでもしてのけた某町奉行のように得意満面で、感涙している家臣に幾度も頷いてみせている。
調子に乗ったあげくに告げる言葉が、
「あー、その方たち、ここで抱き合ってもいいぞ。私は気にしない」
──だった。

そっちが気にしなくても、こっちが気にするのだと言いたいところだったのだが、氷河は、なんとか忠義の道と上下のことわりを思い出し、かろうじて不平の言葉を飲み込んだ。
瞬の命さえ救われて、瞬が以前の笑顔を取り戻してくれるのなら、傍迷惑ながら領民と家臣の幸福を願っている“粋な主君”を立てるくらいのことはしてやってもいい──と、氷河は思った。






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