155500カウント記念小説


155500カウントをGETしてくださったのは、みきさん。


お題は、

『時代劇でえっちシーンあり』

『時代は、江戸時代でも、別の時代でもかまいません』



とのことでした。




みきさん、トロイ戦争話に続き、2度目のリクエストですね。
どうもありがとうございます!


さてさて、そういうわけで、お題は時代劇、時代劇でございますv
初めて氷瞬で時代劇を書いたのはいつだったか、それは忘れましたけれども、その時には、氷河の金髪をどーしたものかと悩んだあげく、
『どうせマンガじゃないんだし、ビジュアル気にしても仕方ないや〜』
と開き直って、外見の描写を全くせずに、武士の氷河話を書いたはずです。

はい、もちろん、今回もその線でいかせていただきます。
その上、今回のネタは、図々しくも毛唐金髪キャラを使って『武士道』。
時代も江戸時代を突っ走ります。
突っ走らせていただきます!


ところで、武士道といえば、誰もが思い浮かべるこの言葉。
『武士道とは、死ぬことことと見つけたり』
これは、13代目 石川五右衛門の言葉ではありません。
(いや、私がこの言葉を初めて聞いたのは、ルパンのアルバムだったので;)

太平の江戸は享保年間に生きた鍋島藩士・山本常朝が語った武士としての覚悟を、田代陣基が7年の歳月をかけて筆録した『葉隠』にあるものです。

* 正確には『葉隠聞書(はがくれききがき)』。
享保元年(1716)成立。
ま、このあたりが、非常に端的に、その主旨を説明してあるかと。
『とにかく、死んでおけば武士として間違いはないから』という、ほとんどヤケのやんぱちのような書物でございます。


曰く。
『究極の恋とは、忍ぶ恋である。生きているうちに惚れたはれたと告げるのは、本当の恋ではない。恋い焦がれ、思いに思って死ぬような恋が本物だ。相手に『僕のこと好き?』なーんて訊かれても、『全くそんなことはありません』とか答えておいて、恋焦がれて死ぬような恋が究極なのだ。主従の関係もこのようにありたい』

打ち明ける勇気やチャンスがないならまだしも、わざわざ嘘までついて忍ぶ必要なんてないのに──と思うのは、私が武士ではないからでしょーか。

曰く。
『武士の心得として、死の覚悟を持ち、主君に対しては絶対の奉公を貫き云々』

あー……大変美しいです。
しかし、私は、こーゆーの、あまり好きではありません。
実際、当時の武士たちも、『カッコいいねー。ま、俺たちには真似できないけどねー』だったと思います。
忠義以外に何もない人たちだけが、あるいは、そうしなきゃ家族等に迷惑がかかる状況に追い込まれた人たちだけが、死を望み、また受け入れていったのだと思います(というか、そう思いたい。でなきゃ、武士道マニアとか)。


今回のお題をいただきまして、久し振りに、やおい物書き必携の書『武士道とエロス』を読み返しました。
忠義と恋を両立できたカップル話、両立できなかったカップル話と、色々面白いんですけども。

私が、大きな戦いのなかった平和な江戸時代より、はちゃめちゃな戦国時代の方に魅力を感じるのは、死ぬことが美しいとされた平和な時代より、死と隣り合わせな状況の中で、誰もが生き延びようと必死になっていた時代の方を好ましいと思うせいなのかもしれません。

いや、つーか、もちろん江戸時代の人たちも、みんな一生懸命生きていたと思うんです。ただ、私は赤穂浪士が嫌いなのよ〜;
ついでに言えば、一個人としての私は、死ね死ね団みたいな武士道は好きではないんですが、やおい書きとしての私は、武士道が大好きで。
崩してはならない上下の序列、個人よりお家が大事で忠義が大事、無意味な意地と武士の面目、そして、そんなふうな障害があればあるほど激しく燃えあがる恋!
武士道最高! 日本男児、かくあるべし!
(我ながら、言っていることが支離滅裂である。すみません;)


あ、それから。
今回の話、時代は享保年間、暴れん坊将軍吉宗の時代です。
舞台となっている水瓶みずがめ藩(投げ遣りなネーミングだな、しかし)は、もちろん、実在した藩ではありませんので、念のため。

氷河の主君である藩主さんは、名前は出していませんが、立場的にはカミュ先生。
それらしい日本語名をつけるのは恥ずかしいので(キャラもちょっと違うし)、『上総介かずさのすけ』で呼んでます。
(ちなみに、上総介は役職名で、本来は上総国(現在の千葉県中央部)に赴任した親王代理のことだったのですが、戦国時代以降は、単なるカッコつけの名前になってます)(例えば、信長様は、織田上総介信長を称してたけど、上総国を治めていたわけではない)

あと、氷瞬時代劇を読む際の心得として、カミュ先生や氷河の月代姿など思い浮かべるのはNGですので、そこのところもよろしくお願いいたします。
& 蛇足ながら、『お家』は『おうち』ではなく『おいえ』です。


タイトルは、もちろん、こちらの歌から。
(↑ 『もちろん』のあたりに、私の開き直りがあります。ご存じない人 8割と見た)


何はともあれ。
今回のキリリク話を書き終えて、私は究極の真理に辿り着きました。
すなわち。
『武士道とは、やおることと見つけたり』

死ぬよりずっといいですよねv







155500カウント記念小説 入り口










MENUへ記念MENUへ7番目の花壇MENUへ