「俺の涙は枯れ果てたものと思っていたが、瞬は凍りついていた俺の身体に熱い命を吹き込んでくれた。いや、それ以上に凍りついていた俺の魂に熱き心を甦らせてくれた――」 悪い病気なのではないかと思うほど大量の涙を流して、何かに酔っているとしか思えない口上を述べ続けている男の顔など、ミロの視界には入っていなかった。 無論、その男の背後で呆然と間の抜けた顔をさらしている二人の青銅聖闘士の姿など、この天蠍宮の大理石の床の汚れほどにも認識されていない。 彼の視線は、病気の男の腕の中で 気を失いぐったりしているピンクの聖衣の少年に釘づけになっていた。 ミロは、その聖衣に見覚えがあった。 そして、その聖衣の持ち主には見覚えがあるどころではなく――それは、彼にとって誰よりも何よりも大切な、ただの一瞬も忘れたことがないほど大切な人間だったのだ。 「瞬っ!」 ミロは、それこそ光速の動きでもって、彼の大切なものを病気の男の手から奪いとったのである。 それから彼は、その場に片膝をつき、ぐったりしている瞬を抱きかかえるようにして、その意識が失われていることと心臓の鼓動とを確かめた。 「小僧! 貴様、いったい瞬に何をした!」 病気の男は――どうやら彼も聖闘士らしかったが、ミロにはそんなことはどうでもいいことだった――ミロの行動にひどく機嫌を損ねているらしい。 あれほど大量に流していた涙をあっさり引っ込め、彼は実に不愉快そうな目でミロを睨みつけてきた。 「俺は何もしていないぞ、 小僧の分際で何という生意気な態度だろう。 大いにむかついたミロは、右の腕に瞬を抱いたまま その場に立ち上がり、頭部に妙な飾りをつけた若造に向かって誇らしげに己れの名を名乗った。 「権利なら、腐るほどある。――見たところ、瞬と一緒に聖域に乗り込んできた青銅聖闘士の一人らしいが、瞬から聞いていないのか。私は、瞬をここまで育てあげた瞬の師にして蠍座の黄金聖闘士、スコーピオンのミロだ」 「へ……?」 畏れ入って土下座しろと言わんばかりに胸を張った黄金聖闘士に、氷河が目を丸くする。 氷河の驚きと不審は当然のことだった。 氷河のイメージする瞬の師と、今 彼の目の前で眉を吊りあげ、唇を歪め、感情をむき出しにしている男との間には、様々な次元で それこそ天と地ほどの開きがあったのだ。 氷河は、スコーピオンのミロと名乗った男の が、すぐに、これは笑い事ではないと思い直し、口許を引きしめる。 「つまらん冗談はやめろ。瞬の師だぞ。この瞬を指導し聖闘士に育てあげた偉大な人物だぞ。瞬の師はもっと聡明で理知的な人格者のはずだ」 氷河の断固とした主張を、しかし、蠍座の黄金聖闘士はまるで聞いていなかった。 いっそすがすがしいほど見事に氷河の言葉を無視してのけたミロは、 「ああ、こんなに冷たくなって、ここはやはり人肌で温めてやるしかないか」 とか何とか言いながら、氷河の目の前で、彼が身に着けていた金色の聖衣の肩パーツを外し始めていた。 「おい、どさくさに紛れて何をする気だ、この助平親父がっ!」 それは、氷河こそがしたいことだった。 ただただ時間の関係で、氷河はその楽しい行為に及ぶことを我慢していたのである。 なけなしの理性を総動員していた氷河の苦悩と忍耐を知ってか知らずか、ミロは氷河からのクレームを鬱陶しそうに払いのけた。 「おまえらは急ぐんだろう。瞬は俺に任せて、とっとと次の人馬宮に行ったらどうだ。アイオロス最後の傑作アスレチックが待っている。あれはいい運動になるだろう。せいぜい頑張ることだ」 「貴様……!」 あくまでもミロは、瞬を瞬の仲間の手に返すつもりがないらしい。 ムカつきが極まった氷河は、蠍座の黄金聖闘士の尻を思いっきり蹴飛ばそうとしたのである。 ――その時。 |