城戸邸に棺桶が届けられた日から数日後。 珍しく一輝が城戸邸に――正確には、弟の許に――帰ってきた。 年に1、2度の一輝の帰還と城戸邸滞在は、毎回 氷河と一輝のバトルで始まる。 氷河はいつものように、瞬は既に一輝の弟ではなく自分のものなのだということを主張し、瞬の兄は、そんな主張をせずにいられない氷河の弱い立場を嘲笑って、二人はバトルに突入するのである。 もはや恒例行事となった二人の闘いは、決して決着がつかない。 それは決着がつくようなバトルではないのだ。 瞬がどちらの肩も持たない――否、両方の肩を持つのだから、それも致し方のないことである。 その事実を知っている星矢と紫龍は、二人の闘いの見物するために庭に出ることもせず、ラウンジでお茶をすすりながら、満身創痍となった二人が邸内に戻ってくるのを のんびりと待っていた。 「ダイヤモンドダストー !! 」 「鳳翼天翔ー !! 」 「兄さん、氷河、もうやめてください!」 城戸邸の庭では、今回も無駄に賑やかなバトルが展開されている。 この不毛な闘いの平均所要時間は、およそ2時間。 夕食の頃にはその騒ぎも収まるだろうと、星矢と紫龍は踏んでいた。 ――のだが。 その日、氷河と一輝の恒例バトルは、わずか十数分で終わってしまったのである。 闘いの時間が短いことは、平和を尊ぶ視点に立てば、めでたいこと・良いことではあるだろう。 しかしながら、氷河と一輝は、二人の闘いに決着をつけるためではなく、自分の思い通りにならない世界というものへの鬱憤を晴らすために その闘いを行なうのであるから、平均所要時間2時間の闘いが わずか十数分で収束するというのはおかしな話である。 氷河と一輝の鬱憤が、そんな短時間で解消されるものではないことを、彼等の仲間たちは十二分に知っていた。 だから、早すぎる静寂の訪れを訝って、星矢と紫龍は庭に出てみたのである。 そこには、勝ち誇ったような顔をした一輝と、まるで魂が抜けたように虚ろな目で虚空を見詰めている氷河の姿があった。 氷河がそれでも何とか立っていられるのは、泣きそうな顔をした瞬が氷河を支えているからのようだったが、今の氷河には愛しの瞬の姿すら視界に入っていないらしい。 「い……一輝、おまえ、何したんだよ、氷河がこんなになるなんて」 星矢の疑念への答えは、一輝ではなく紫龍から返ってきた。 「おまえ、幻魔拳を使ったのか……!」 「幻魔拳 !? 」 紫龍のその言葉を聞いた星矢が、瞳を見開く。 確かに、今の氷河の状態は、あの技を食らった者のそれだった。 が、(一応)仲間同士の内輪揉めで、さすがにそれは禁じ手である。 氷河がどれほど瞬の兄の気に障ることをしでかしたにしても、その技を使ってしまっては、この過激な恒例行事はレクリエーションの域を超えてしまうではないか。 「では、氷河は今、悪夢を見ている最中か」 「氷河の見る悪夢ってのは――」 氷河は以前にも一度、殺生谷でこの技を食らっている。 その時には、氷河は、彼の母親の ただれ崩れる姿を見せられて半狂乱状態に陥った。 しかし、聖闘士には一度見た技は通じないのが通説、となると今の氷河は、あの時のものとは別の悪夢を見せられているに違いない。 そして、現在の氷河をこれほどまでに打ちのめすことのできる悪夢とは、瞬絡みのもの以外考えられなかった。 「瞬に振られて絶望してる夢とか……」 「瞬があの棺桶の住人になってしまった夢というパターンもありえるぞ」 そのいずれであったにしても、それは氷河にはこれ以上ないほどの悪夢である。 殺生谷の時とは異なり、雄叫びひとつ洩らさずに、人形のように輝きのない瞳であらぬ方向を見詰めている氷河に、今ばかりは星矢も同情した。 と同時に星矢は、氷河はもちろん一輝をも 見限りたい気分になってしまったのである。 瞬の周りの男たちは皆どこかがいかれていると、星矢は思った。 「ふん、しばらく そうして呆けていろ」 吐き出すように言う一輝は、どうやら左の腕を上げることができない状態に陥っているようだった。 一輝は氷河の凍気をまともにその腕に受けてしまったらしい。 氷河によって兄が被った負傷に気付いているから、瞬は兄を責めることができずにいる――のだ。 「氷河、氷河、大丈夫?」 瞬が幾度も氷河の名を呼びながら、精神的に半死半生状態の氷河の身体を支え、邸内に戻っていく。 その後ろ姿を、星矢は、哀れをもよおしつつ見送ったのである。 幻魔拳が命に関わる技ではないのが唯一の救いだった。 命さえ無事なのであれば、今更 氷河の精神状態を心配するのも馬鹿げている。 星矢の同情心の9割は、あくまでも氷河ではなく瞬に向けられていた。 「幻魔拳はこれっきりにしろよ、一輝。幻魔拳ってのは、どっちにしろ、精神的に強靭な奴にはほとんど効かない技なんだろ? 肉体的ダメージはゼロだし、氷河だって、すぐに悪夢から醒めるんだしさ。そうなったら、氷河は悪夢を忘れようとして瞬に泣きついてって、瞬は瞬で、兄貴のしたことに責任感じて氷河を甘やかすことになるんだ。結局逆効果なんだよ。おまえが氷河をいたぶるのは、あの二人の橋渡しをしてるようなもんだ。悪夢が長時間に及ぶってのなら、また話は別かもしれないけど、おまえの幻魔拳って、ほんの一瞬しか効力が持続しない欠陥技だしさ」 「なに?」 氷河に余程気に障ることを言われたのか、あるいは、自分のしでかしてしまった行き過ぎを一応反省しているのか、今日の一輝はすこぶる機嫌が悪い。 一輝にぎろりと睨まれて、星矢は大袈裟に肩をすぼめてみせた。 そして、即座にその場から逃げることにした。 「俺、氷河の様子見てくるな。あんな傍迷惑野郎でも、一応仲間だし」 適当な理由をつけて その場から駆け出した星矢に向かって、一輝の右手が不気味な動きを示した。 |