星矢のその考えを中断させたものは、星矢自身の意思ではなく、急を聞いてその場に駆けつけてきた女神アテナこと城戸沙織だった。
彼女は息せき切って彼女の聖闘士の部屋に飛び込むと、まず瞬に向かって事実確認をした。
「瞬! 氷河が一輝の幻魔拳で死んでしまったというのは本当なの !? あれは、精神にダメージを与える技で、肉体には何の影響も及ぼさない技のはずでしょう!」
楽しい計画を立てていたところをトーンの高い声で邪魔されて、星矢は、あろうことかアテナに対して舌打ちをしたのである。

「氷河の精神は、最初から破壊されていたようなものでしたから……。行き場所を見付けられなかった幻魔拳の力が、仕方なく肉体の方に及んだんじゃないでしょうか」
「そんな……」
冗談なのか本気なのかもわからない放言をしてのける紫龍に、瞬が切なげな目を向ける。
(俺以外の誰かなんて、見るな見るな見るな……!)
星矢は既に、そんなことを考えてしまう自分自身を『おかしい』とすら感じなくなっていた。

「沙織さん、アテナの力で氷河を生き返らせてください……!」
「瞬、人の生き死には私にもどうすることもできないの。それはハーデスの管轄なのよ」
瞬に懇願されたアテナが、自身の無力に苦しむように眉根を寄せ、すまなそうに瞬の腕に手を添える。
(アテナだからって、気安く瞬に触るなよ! 職権乱用だぞ!)
(神ってのは、なんで誰も彼もみんな、こう図々しいんだ! ハーデスもそうだった。俺の瞬を勝手に依り代なんかにしやがって! 思い出すだけで腹が立つ!)

「兄さん、氷河に幻魔拳をかけたのは兄さんでしょう! お願い、氷河を助けて! 氷河を生き返らせてっ」
涙ながらに一輝にすがっているのは瞬なのに、星矢の怒りは一輝に向く。
(この悪党、さっさとくたばりやがれっ!)

やがて、その場にいる誰にも氷河を生き返らせることはできないことを、瞬は悟ったらしい。
瞬は涙を拭って、アテナと仲間たちに宣言した。
「僕、冥界に行ってくる! そして、氷河を連れ戻す!」
(なんで瞬がまたあんなとこに! 氷河なんか、死んだままにしておけばいいじゃないか。せっかく死んでくれたものを、わざわざ生き返らせる必要がどこにあるんだよ!)

いちばんの邪魔者に蘇られてしまってはたまらない。
星矢は、瞬の決意を翻させるべく、慌てて口を開いた。
「し……死んじまったもんはしょーがないじゃないか。オルフェも言ってただろ、死んでしまった者を生き返らせようとするのは間違いだって」
「星矢……でも……」

瞬の涙には際限がない。
あまりにも正しいことを告げる仲間を見詰めるシュンの瞳には、また新しい涙が盛りあがってきた。
瞬の瞳に映る自分の姿に、星矢は幾許かの満足を覚えたのだが、しかし、そんな満足は、その満足以上に大きな不安のせいで、すぐに消え失せてしまった。
(瞬は可愛いのに……こんなに可愛いのに、なんで氷河なんかのために泣いてるんだ。馬鹿げた話だ。もったいない)

自分が昨日までの自分と違うことに、星矢は気付き始めていた。
仲間が死んだというのに、その死を嘆くことすらせず、瞬の気持ちが誰に向けられているのかということばかりが気になってる自分を変だと思う気持ちもないではない。
だが、それが何だというのだろう。
この世に、瞬以上に意味のあるものなど存在するはずがない。
否、瞬以外のものは皆 無意味である。
たった今敵が襲ってきても、そんなものは無視して、自分はただ瞬の側にいたい――と、星矢は思った。

瞬が泣いている時にはいつもその涙を拭ってやりたい。
瞬が笑ってくれるのなら、どんな道化たこともする。
瞬が自分だけを見ていてくれるのなら、瞬の目を自分だけに向けておけるのなら、そのために世界が滅びたとしても、そんなことが大した問題であるはずがない。
瞬だけが、この世に存在する意義と意味があるものなのだ。
世界の平和も地上の安寧も、そんなものにいったいどれほどの価値があるだろう。
地上には、瞬と俺だけが生きていればいい。
世界は、俺と瞬のためだけにあればいい。
――星矢は、心底からそう思った。
そして、そうではない現実に、腹が立って仕方がなかった。






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