何も知らない氷河が呑気に――真顔で――瞬とのディスカッションに乗ってくる。 「国家規模の戦いでも個々人のそれでも、要するに、正義と利益が異なるからだろう」 星矢は正直、真面目にそんなくだらない問題を語り始めるくらいなら、氷河はすぐさま瞬を彼のベッドに引っ張っていくべきだと思っていた。 が、こういう時に限って、氷河は無粋なのだ。 「正義なんていうのは、戦いを始めることを決めてから持ち出されてくる看板みたいなものでしょう。利害なんて……自分の損になることを我慢すればいいだけのことだよ」 「簡単に言ってくれる」 ためらいなく紡ぎ出される瞬の言葉に、氷河は肩をすくめた。 「その我慢ができない人間が多いんだろう。我慢が生命の存続を脅かすレベルに至ることもあるだろうし」 ――と、紫龍までが くだらないディスカッションに加わっていくのを見て、星矢は思い切り舌打ちをしたのである。 もう少し気をきかせたらどうなのかと、星矢はいっそ 瞬の苦衷に気付いていない二人の仲間を怒鳴りつけてしまいたかった。 「でもね、戦いが人に最終的に何をもたらすのかなんてことは、誰でも知ってることのはずでしょう? 死と破壊、悲しみと後悔。そんなものだけだよ。なのに、人間はどうして戦うことをやめてしまえないの」 「人間というものが、自分の生命や生活を脅かすものを憎悪するようにできているからだろう」 今はそんなことを語り合っている時ではないのだと、星矢ひとりが焦っていた。 瞬さえもが、星矢の苛立ちに気付いていないことが、更に星矢の焦燥を加速する。 「僕たちが敵を憎んでいたことなんてあったかな。黄金聖闘士たちは基本的にアテナを誤解していただけだったし、アスガルドの神闘士たちだって海闘士たちだって――」 「蟹座の黄金聖闘士には、俺は本気で憎悪を感じていたが」 自分たちの戦いに憎しみという感情は存在していなかったことにしたがっているらしい瞬に、紫龍が反論する。 瞬は、しかし、龍座の聖闘士にゆっくりと左右に首を振った。 「そんなことないと思う。紫龍はただ、自分の大切な人を守りたかっただけだよ」 瞬の口調は穏やかで、澱みというものがまるでない。 瞬がこのやりとりの結末をどこに導きたがっているのかを、紫龍と氷河は訝り始めていた。 まして、星矢は――。 「人はもしかしたら、正義のためとか自分の利益のためじゃなくて、守りたい人がいるから戦うんじゃないだろうか。正義なんて、その人の立つ位置によって変わってしまう あやふやなものだもの。絶対の正義なんてない」 「アテナの正義を信じているぞ、俺は」 「それは――アテナの正義が、人間を守るっていうスタンスに立ってるからだよ。アテナの正義は、紫龍の守りたい人を守る正義だもの」 ――まして星矢は、なぜ瞬が今 自らの恋を語ろうとせず、人が戦う理由などについて延々と語り続けているのか、まるで得心できなかったのである。 「僕たちの戦いみたいな個人レベルの戦いでさえ、そうなんだ。戦争みたいに国家間の戦いのレベルになったら、一兵卒は敵の一兵卒を憎んでなんかいないと思う。戦いの開始を決めるのは彼等じゃないから――彼等にとって戦いっていうのは、気付いた時にはもう始まっているものなんだよ。そんな人間たちが、理由もわからない戦いを戦えるのは、それが自分の大切な人を守ることにつながっているからなんじゃないかな。でなければ、人は戦えない。戦い続ける意思を保てない」 瞬は自分が“我慢”できてしまうから、人間の利己主義というものを今ひとつわかっていないのだ――と、紫龍は思っていた。 国家間の争いとアテナの聖闘士の戦いとを同一線上で語ることには無理がある――とも。 それでも彼は、瞬の言葉を真っ向から否定してしまうことはできなかったのである。 紫龍自身が、瞬の言う通りの理由で戦いを続けている側面が全くないわけではなかったから。 「戦いが始まってしまったら、人は正義も自分の利益もどうでもよくなって、ただ自分が守りたい人を守るために戦うんだよ、きっと」 「……」 戦いがもたらすものが何なのか――を、人間は確かに知っている。 にも関わらず、彼等は戦うことをやめられない。 それはアテナの聖闘士も例外ではなく、一つの戦いが終われば、すぐに次の戦いが始まり、その戦いを避けることなど考え及ばず、彼等は新しい戦いの中に身を投じていく。 その都度、アテナの聖闘士たちは 正義がどこにあるのかを考えているだろうか。 アテナの掲げる正義が『人の世界を守る』というものであるがゆえに、彼等は彼等の女神を疑ったことがなかった――疑う必要を覚えなかったのだ。 結局、紫龍と氷河は 瞬の意見に反論することができなかった。 というより、氷河と紫龍は、瞬が本当は何を訴えたくて、そんな話をしているのかがわからなかったので、反駁の論拠を見い出すことができなかったのである。 |