それから数ヶ月は嵐のように過ぎていった。 というより、嵐はそれ以前から吹き荒れていたのだが、その事実に星矢たちは気付かずにいた――と言った方が より正しいだろう。 まずジャンヌ・ダルクへの発注数が 一応 既製服と銘打ってはいるのだが、デザイン柄 どうしても一部機械化できない箇所があり、どうしても供給が需要に追いつかない。 そのせいでネットオークションではジャンヌ・ダルクのアイテムに異様な高値がつき、それが更に消費者の『もう1着欲しい』気持ちを煽ることになった。 ショーを開いたこともない無名の新人の手に成るブランドが人気を博しているという事実は、目新しいニュースのなかったメンズファッション業界内のみならず一般社会でも注目され、5人は、『これなら芸能界デビューしていた方がどれだけましだったか』と思わずにいられないほど、各種メディアに引っ張り出されることになった。 特にメンズファッション誌では、5人の顔写真が載っていれば、普段はメンズファッション誌など買わない女性層の購読が増え 販売部数が倍増するというので、インタビューの依頼が引きもきらず、結果として顔が売れすぎた5人は、サングラスなしでは外も歩けない状況に陥った。 世の要望に負けて小さな単独ショーを開けば、チケットには法外なプレミアがつき、その客席はファッション関係のスーパーバイザーではなく男女を問わないファンで埋め尽くされ、5人それぞれに集団ストーカーがついて、彼等の常軌を逸した言動が社会問題になるというありさま。 さすがにこれでは本業ボランティアの方にも支障が出るというので、沙織が戒厳令を布いたのが、ブランド展開開始から半年後。 ブランドイメージの構築は成ったという名目で、アテナの聖闘士たちは徐々に第一線から身を引いていったのである。 |