春の歌

〜 よしぃさんに捧ぐ 〜







「こんな簡単なことが、なぜわからないんだ」
幾度カミュに言われたことか。
「死んだ者に会いたいという願いは、希望ではないんだ」

俺も強情な子供だった。
カミュに『おまえは何のために聖闘士になろうとしているんだ?』と問われるたびに、『海の底にいるマーマに会いたいから』と、否定されるのを承知で答え続けていたんだから。
嘘をつきたくなかったから、俺は毎回正直にそう答えていただけだったんだが、俺が要領の悪い子供だったことは否めない。

だが、他に何があるっていうんだ。
正義のためだの、アテナのためだのと、嘘を言うのは嫌だった。
俺は、正義っていうのがどんなものなのかを知らなかったし、アテナなんて女には会ったこともない。
カミュが何を求めているのか、俺がどう答えれば彼は満足するのか、俺にはわからなかった。

マーマが死んで、孤児になった俺を顧みてくれる者は誰一人いなかった。
一人きりで、それでも俺が生き続けることを選んだのは、俺を生かすためにマーマは死んでいったのだと思っていたからだ。
俺が生きていることがマーマの“希望”だったと思うからだ。
俺が死ぬということは、同時にこの世界からマーマの希望までもが消えてしまうことだと思っていたからだ。

でも。
人がなぜ生きていなきゃならないのかもわからないのに 生き続けることの苦痛。
夢も希望も食べ尽くして、俺にはもう何も残っていない――死んだひととの思い出しか。
その思い出をすら、カミュは捨てろというんだろうか。
俺には、マーマを忘れることはできなかった。
春の来ないシベリアで、俺は、どこへ向かえばいいのかわからない迷子のように、一人ぼんやりと立ち尽くしていた。

日本にいる時はもう少しましだった――と思う。
俺が連れていかれた大きな屋敷には、俺と似たような境遇の、俺と似たりよったりの年頃の子供がたくさんいた。
そこで俺は、不運なのは俺だけじゃないと思うことができた。
今考えてみれば、それも随分後ろ向きな生の肯定の仕方だったが。

ああ、あいつらは、どういうわけか みんな明るかったな。
あいつらといる時には、俺もあいつらと一緒になって、笑ったり怒ったりできていた。
あいつらには“希望”があったんだろうか。
生きること以外に目的もないような、あんな境遇の中で。
『聖闘士になれ』なんていう勝手な命令も、その命令に従う以外に生きる術がないから受け入れたようなものだったろうに。

それでも、あの屋敷の中では、あいつらの生気の影響を受けて、俺も少しは明るく子供らしくしていられた。
あのままあそこで あいつらと一緒に暮らしていられたら、俺は、生きることをもう少し違うふうに捉えられるようになっていたのかもしれない。
だが、シベリアここには春が来ない。

一面の雪の純白と、空の灰色。単調な景色。
それでいながら、人が生きていくには過酷な自然条件。
寒さではなく虚無のせいで、俺は この世界から消え去ってしまいそうだった。
もっとも、今年は、その単調な景色にちょっとした変化が現われていた。

もう3日も前から、空を見上げると、そこにはオーロラのカーテンがおりている。
今年は11年に1度のオーロラの当たり年だと、カミュが言っていた。
オーロラっていうのは、磁場を持つ惑星と太陽風との相互作用によって生じたエネルギーの放電現象――なんだそうだ。
それが聖闘士になることに どう役立つのかは知らないが、カミュはそんなことだけは熱心に教えてくれた。

様々な色をもって輝くオーロラ。
俺がその下に行ってみたいと思ったのは、もしかしたら、昔マーマに聞いた歌を思い出したからだったかもしれない。

虹の向こう側には、子守歌で聞いた国があって、そこではどんな夢も叶えられる
鳥たちが虹を超えて飛んでいけるのなら、私にだって飛べるはず
小さな鳥たちが虹を超えて飛んで行けるのなら、私にだってできないはずはない――

アメリカの古いミュージカル映画の歌だと言っていた。
マーマはいつも俺に“夢”を語り、歌い、教えてくれた。
『素敵な夢を見付けて、その夢のために生きていけば、人は幸せになれるのよ』と。
それは、カミュの言う“希望”と同じものなんだろうか。
マーマの夢は何だったんだろう?

――オーロラはシベリアの虹みたいなもんだから、そこには何かがあるかもしれない。
俺は、マーマの眠る海に背を向けて――カミュが何と言おうと、俺の唯一の希望であるものに背を向けて――オーロラのカーテンを目指して歩き出した。
希望を求めてのことだったかもしれないし、死に向かって歩いているつもりだったのかもしれない。

夜というには早いが、夕方というには遅すぎる頃。
オーロラはその動きを更にめまぐるしくし、色を変え、形を変え、妖しく輝き続ける。
こんなオーロラは、俺も初めて見る。
壮大な自然の力は、だが、俺を感動させるどころか、ますます俺という人間をちっぽけなものに感じさせて、俺は時々不安に足をすくませることになった。
幾度目かに立ち止まった時、そのオーロラの下で、俺はそれを見付けた。






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