「この曲の歌詞が、私の中ではなんとなく氷河君と瞬ちゃんに重なる感じがするのです」 とのことでした。 よしぃさん、リクエストどうもありがとうございますー! はい、そういうわけで『春の歌』です。 スピッツは、実は私は『RECYCLE』しか持っておりませんで; ですが、自他共に認める日本一のゲーノー音痴の私が、ここ10年内に出たCDを自発的に買って持っているだけでもすごいと思うのです(というか、すごいことなのです)。 でも、このアルバムには お題でいただいた『春の歌』が入っていなかったので、私はそそくさと別のCDを購入してまいりました。 で、聞いてみたわけなのです。 歌詞は事前に確認して、「これは確かに氷瞬ー!」と思っておりました。 なので、実際に曲を聞いてみましたら、ストーリーもわりと氷瞬の王道らしきものがあれこれと思いつきましたのです(『覇道』らしきものを幾つか――と言った方が正しいかも)。 問題は「サル」! サルでした。 この歌を作詞された方が、「サルのままで」という表現を、どういう意図で用いたのかが、私には皆目わからなかったのです; 「人間として」ではなく「サルのまま」。 では、人間とサルの違いは何だろうと、まあ、色々 考えたわけですよ。 ありがちなところでは、「人が囚われる利害・しがらみを無視して、単純素朴一途に」という意味かなー、とか。 あるいは、食べ物でも何でもいいですが、「人は分け与え合うことを知ってるけど、サルは強いものが独り占めするものだから、そんなふうに他を顧みず」という意味なのかな〜 とか。 あと、サルは罪悪感というものがないので、人間と違って罪を犯しても許されてしまうなーとか、サルはラッキョの皮は剥けるけどリンゴの皮は剥けないなー、とかとかとかとか。 そんなふうに あれこれと考えはしたのですけど、結局は、「おそらくこの歌の詩を書いた人は、こういう意味でサルという言葉を用いたのではないだろう」と確信できるサルの解釈をこじつけてしまいました。 ここは、本当にまじで、作詞家の方に真意を伺いたいものです。 話としては、とてもありがちなものだと思います。 実際、私自身がこの逆バージョン(瞬ちゃんのところに、氷河が現われる話)を過去に書いたことがあります。 でも、「まさに氷瞬ー!」な歌詞なので、「いかにも(氷瞬で)ありがちー!」な話の方がいいだろうと、(ちょっとだけ)開き直って書かせていただきました。 ちなみに、話の中にでてくる、マーマが氷河に教えた歌は『オズの魔法使い』の『Over The Rainbow(虹の彼方に)』。 私は、映画自体は(実は)見たことがなくて、本で読んだだけなのですが、この歌はとっても有名な曲なので、いろんなところで耳にしますね。 『春の歌』にしても『虹の彼方に』にしても、歌というものは本当にすごいものだと思います(どーでもいいことですが『二次の彼方に』と変換されるマイPC;)。 歌を元ネタにして話を書くということを、私はしばしばするのですが、元ネタは短い詩なのに、その詩と同じことを(あるいは、似たようなことを)散文で伝えようとしたら、ものすごいページ数が必要になる。 今回の話にしても、私は元ネタの詩の百倍くらいの言葉を使って一つの話を書いたわけですが、それでも歌の原意を書き尽くせたとは思えない。 しかも、それが歌の解釈の1バリエーションにすぎないわけですから、これはもう降参するしかありません。 (もちろん、その逆もありえるわけで、1本の小説の内容を1つの歌で表現しようと思ったら、それもまた とても難しいことだと思います) ――と、なんだか結局 言い訳じみてしまいましたが、要するにそういうことです。 この話は、『春の歌』を元ネタにした妄想の1バリエーション。 「私の氷瞬的『春の歌』はこうじゃない〜」と思われる方も多くいらっしゃるとは思いますが、そこは寛大なお心でお許しくださいませ。 よしぃさん、氷瞬の根幹に迫るようなリクエスト、どうもありがとうございましたー! |