去年までは、確かにそうだったのだ。 しかし、古いしきたりは破られるために存在する。 今年、『城戸邸のクリスマスケーキは、瞬の意思によって決められる』という鉄壁強固なルールを覆すべく、その場に登場したのは、他ならぬ女神アテナだった。 「いい採決方法があるわ」 たとえケーキの選択そのものではなく、ケーキタイプの選定の決定方法に関することとはいえ、この場で発言ができる沙織に――それだけのことに――、その場にいた青銅聖闘士たちは『さすがはアテナ』と感嘆したのである。 しかし、彼女の発言内容は、到底素直に感嘆できるようなものではなかった。 沙織は、彼女の聖闘士たちに にっこりと微笑んで、 「聖闘士なら、闘いで決めるのがいちばんでしょう」 と言ったのである。 「へ?」 「ちょうどいいわ。今、グラードで新薬発売のためのプロジェクトが佳境に入ったところなの。それ一錠あれば人間が生きていく上でのすべての栄養素を補給できるという画期的な新薬なんだけど、その薬のテストを兼ねて、あなたたち、ケーキのためのバトルをしなさい」 その場にいた青銅聖闘士たちは、一様に嫌な予感を覚えた――約1名を除いて。 この時期、瞬とは別の意味で、アテナは最強なのである。 なにしろ、クリスマスケーキのみならず、七面鳥やらオードブルやら飲み物やらの購入代金を支払うのは、グラード財団総帥にして城戸邸の法的所有者である城戸沙織その人なのだ。 「どんなテストなんですか」 訊きたくはなかったのだが、訊かないわけにはいかない。 その嫌な役目を担うことになったのは、アテナの聖闘士たちの中で最も常識と礼節を その身に備えていると評判の龍座の聖闘士だった。 無論、その評価は、あくまでも聖闘士の世界というごく限られた範囲内での、相対的なものにすぎなかったが。 紫龍に問われたことに、アテナ――もとい、グラード財団総帥――が、にこやかに答える。 「まあ、バトルというより、サバイバル特訓みたいなものと思ってくれればいいわ。スーパーもコンビニもない絶海の孤島で、その錠剤と水だけで、いつまで誰が最も長く生き延びることができるかを競ってほしいのよ」 「生き延びる !? 」 たかがケーキ1つのために、命懸けのサバイバル特訓などに挑みたいなどとは誰も思わないし、その必要性も感じない――というのが、アテナの聖闘士たちの本音だった――約1名を除いて。 星矢がオウム返しに返した言葉を、沙織が微笑で受け流す。 「いやね。言葉の綾よ。本気でとらないで。試験場にはグラード財団の医療チームが待機しているし、万一被験者が死にかけたりするようなことがあったら、すぐに適切な処置を施すわ」 医療チームが待機していなければ行えないようなサバイバル特訓。 そんな不穏かつ危険極まりないサバイバル特訓に挑み、たとえ勝利を収めても、その代償に得られるものが、さして食べたいわけでもないクリスマスケーキ1つ――なのである。 勝ち残ることを それまで ひたすら無言で沙織の言葉を聞いていた約1名が、ついに口を開く。 「ケーキのために命懸けのサバイバルに挑むなんて、素敵ですね……」 瞬は既に目がくらんでいるようだった。 勝利の暁に勝ち取ることのできるケーキに――というより、命懸けのバトルに挑むことで、ケーキへの愛を証明できることに。 それでなくても大きな瞬の瞳が 更に大きく見開かれ、それでなくても輝いていた瞬の瞳が 更に輝度を増して輝き始める。 瞬の瞳は、夜空に瞬くすべての星を1点に――もとい、2点に――集めたように眩しく熱く強く激しく燃え上がっていた。 「……俺もケーキくらい瞬に思われてみたい」 氷河がぼそりと、実に情けない様子で そうぼやいたのは、ここまで瞳を輝かせ頬を上気させている瞬に 反対意見を述べることができない自分という男を、彼が十二分に知っているからだった。 瞬の他の仲間たちも、それは同様だった。 瞬と沙織が乗り気でいるのである。 逆らえる者は、この世に誰ひとり存在しなかった。 かくして、アテナの聖闘士たちは、その2日後には 師走の絶海の孤島への上陸を果たすことになったのである。 |