おそらく、その島は、日本国の領土としては、最もハワイに近い場所にある無人島だったろう。 12月とは思えない、10月初旬のそれに匹敵する暖かさ――が、その島にはあった。 もっとも、その島が有しているものは、暖かさの他には、岩と、さほど広くはない砂浜と、そして、さほど広くない平地に申し訳程度に生えている雑草のみだった。 まるでヤドリギが地面に生えているような潅木がところどころに見える他は何もない――本当に何もない小さな島だった。 周囲が4キロほどしかない島の西の端と東の端に、それぞれ2階建てのプレハブの建物はあったが、それはこのサバイバル実験のために急ごしらえで造られたものらしく、どう見ても、もともと島にあったものではなさそうである。 この島に来るために星矢たちが乗ってきたジェットヘリの窓から見えた2つの建物は、実際に島に降り立ってみると、西の建物から東の建物を見ることはできず、東の建物から西の建物を見ることもできなかった。 つまり、島は平地ではなく、全体が緩やかな盆地になっているらしい。 西側の建物が医療チームメンバーの、東側の建物が被験者たちの、それぞれ仮の住まいになると、沙織は青銅聖闘士たちに告げた。 東の建物には青銅聖闘士たちのための個室があり、それぞれの部屋には、寝台、着替え、バスルーム等、衣住に関わる施設はすべて整えられているらしい。 沙織のその説明を聞いたアテナの聖闘士たちは、自分たちが コンビニもスーパーもないこの島に身一つで放り出されるのではないことを知って、一応の安堵を覚えたのだった――約1名を除いて。 その約1名は、ケーキのために野宿も辞さない覚悟で この島に乗り込んできたので――というより、むしろ、過酷な環境を期待して この島にやってきたので――存外に整った施設の存在を知らされると、逆に気が抜けてしまったのである。 夜には気温が氷点下に下がるアンドロメダ島の砂浜で、布一枚に身体を包んで過ごしたこともある瞬には、そんな準備万端整った場所での生活は 苦難でも試練でもなく、ただのキャンプごっこにすぎなかった。 その上、このサバイバル実験を乗り切った暁には愛しのクリスマスケーキが我が物になるとなれば、瞬にとってこの島は天国に最も近い島と大差なかったのである。 アンドロメダ島でのつらい修行の日々には、そんな甘いご褒美は期待すべくもなかったのだ。 しかし、生きるための環境が整えられているのは、あくまでも衣住に関するもののみである。 これから瞬たちが暮らすことになる東の建物には、人間が命を繋ぐために最も重要な要素である『食』に関するものが完全に排除されていた。 医療チームの寝起きする西の建物――こちらの建物には、厨房や食堂があった――に、まず青銅聖闘士たちを集合させた沙織は、そこで早速、これから彼等が為すべきことの説明を開始した。 「この島にいる間、あなたたちは、この後医師から渡される錠剤を朝と夜の6時に1錠ずつ飲む他は、水以外 何も口にできなくなるわ。医療チームは24時間体制でこの施設内にいます。毎日正午に検査を受けるためにここに来てもらえれば、それ以外は何をしていても自由よ。聖闘士になるための修行を耐え抜いたあなたたちには楽な実験でしょ」 「何をしていてもいい――つったって、何もないじゃないか、ここ」 星矢のぼやきを、無論沙織はあっさり無視した。 「あなたたちでの実験が上手くいったら、今度はNASAの宇宙飛行士訓練での採用を要請して効果と安全性を試す予定なの。そこでも結果がいいようだったら、販売許可を申請して一般への販売に踏み切るわ。一家に一箱常備しておけば、不意のトラブル時にも半月 生き延びられる薬――と宣伝してね。私はこの薬はダイエットにもいいんじゃないかと思ってるのよ。特に肥満大国の米国では売れるわよ」 「はあ……」 「この薬は、やがて、この地上からメタボリックシンドローム患者を一層することになるわ。生活習慣病患者が減れば、日本の医療費問題も即座に解決。国からの多額の援助も受けられるようになるでしょうし、国民に真の平和と健康をもたらすことにもなる。あなたたちは、人々の平和で健康な世界を築くための礎になるのよ。なんてアテナの聖闘士にふさわしい任務なんでしょう!」 瞳を アテナの聖闘士にふさわしい任務と彼女は言うが、それは要するに、『なまじなことでは死にそうにない者たちは人体実験に都合がいい』と言っているにすぎない。 瞬が行くと言い張るので、共にサバイバル実験場にやっては来たものの、氷河は早くもうんざりしかけていた。 「期間は2週間。クリスマスケーキの最終予約日には終わらせるわ。それまでに脱落者が一人も出なければ、あなたたちがそれぞれ希望したケーキの購入を許可します。脱落者が出た場合は、脱落しなかった者が希望するケーキを、全員リタイアの場合には、最後まで残った一人が希望するケーキを1つだけ購入することにするわ」 氷河の不満気な様子を見てとった沙織が、まるでとってつけたように、このサバイバル実験を全員が乗り切ることのできる可能性を示唆してくる。 しかし、氷河は、彼女の言を全く喜ぶことができなかった。 「1日2錠の錠剤だけか……。食べる喜びなしで人間はどこまで生きられるか。案外これは、食料を自力で調達しなければならないサバイバルより過酷なものかもしれないぞ」 紫龍もまた、このサバイバル実験をあまり楽観視できずにいるらしい。 そんな龍座の聖闘士に、沙織は、 「大丈夫よ。飢えて死ぬことはないんだから」 と、至って楽観的に微笑み返した。 沙織の『大丈夫』は信用ならない。 だいいち、本当に『大丈夫』なら、脱落者など出るはずがないのだ。 栄養面で不安がなく、ライバルを蹴落とす必要もないというのであれば、これは精神の強靭さを競うバトルになるのかもしれない。 となれば勝者は決まっている。 青銅聖闘士たちが各々の脳裏に思い描いた勝者の姿は、ただ一つだった。 今回ばかりは、ただ一人の例外もなく。 |